大業を成し遂げるには

ある会社の二代目候補として、「両親が築き上げた会社に入社したA氏。そのわずか二年後、会社が倒産するという大変な事態に見舞われました。

その後、A氏は自ら会社を設立し、親と同じ道は歩まぬよう、必死に仕事に取り組んでいました。設立後三年ほどは順調でしたが、他の競合店に遅れを取り、次第に売り上げが下降線をたどっていくようになったのです。

会社存続のため、銀行に借り入れを申請すると、両親の会社に勤めていた時に個人保証した借り入れ金が完済しておらず、融資を受けられませんでした。A氏は、会社を倒産させた父に対し、憎しみが増していくような心境でした。

そうした状況の中、母にふと苦しい胸の内を吐露しました。すると「お父さんに相談してみたら」という言葉が返ってきたのです。

母も父からさんざん迷惑をかけられていたので、思いもよらない言葉でした。しかし、母の苦労を長年見てきたA氏は、母の言葉に応えてみようと思ったのです。

資金繰りが悪化していることを伝えると、父は「お前の会社の状況はだいたいわかる。これを使え」と、倒産後コツコツ働いて得た預金を切り崩して、数百万のお金を差し出してくれました。父は資金繰りに苦しむ自分の気持ちを察してくれていたのです。

その時に初めて、父がどれほどの苦労を重ねて会社を存続させてきたのか、また、長男である自分をどんな思いで見守ってくれていたのかという父の心情に触れることができたのでした。

倫理運動を創始した丸山敏雄は次のような文章を残しています。

ほんとうに、父を敬し、母を愛する、純情の子でなければ、世に残るような大業をなし遂げる事はできない。(『万人幸福の栞』より)

経営者にとっての大業とは、広い意味では、企業の健全な繁栄に他なりません。また、様々な団体を通じた奉仕活動や地域貢献活動なども含まれるでしょう。

それらをなし遂げるためには、父を敬し、母を愛する純情な子であることが求められます。世の中に二人といないわが父、わが母であるからこそ、無条件で親を尊び大切に思うことが親祖先を大切にすることにもつながります。

A氏の父は、ほどなくして他界しました。父の思いをしっかりと受け止めたA氏は、その後、折に触れ、〈こんな時、父ならどうするだろう〉と思うようになりました。そして、決断が迫られる厳しい状況では、「父母が喜ぶかどうか」を拠り所として、自分と向き合うようになりました。それから次第に物事が良い方向に動き出し、会社の再建につながったのです。

現在A氏は、毎月一回、家族全員で墓参をしています。感謝の気持ちとお詫びを込めて、妻や子供たちとお墓を清掃しています。そして、生前父に伝え切れなかった思いを声に出して語りかけます。

帰路、心の晴れやかさを感じるたびに、A氏は、月に一度の墓参が一家の元気の源になっていることを実感するのです。

父母もその父母もわが身なり

自分のことを心から思ってくれる親の存在ほど、ありがたいものはありません。

〈子供の頃、どれだけ自分を可愛がってくれただろう〉〈病気の時、寝ずに看病してくれた〉〈苦労して働いて、学校を出してくれた〉

たとえ親が亡くなっていたとしても、こうしたことを思うたびに、心が温かくなるものです。

では、親に直接的な愛情をかけてもらえなかった人は、どうでしょう。世の中には、親の愛情を感じられない人もたくさんいます。叱られたり、粗末に扱われたことしか思い出せない人もいます。そうした人は、親を恨み、憎んで当たり前なのでしょうか。

いや、決してそうではありません。親に対する感謝は、生命付与の一事に尽きるのです。

わが生命は、父母によってこの世に生み出されました。親がいなかったら今の自分はいません。このことへの感謝は無条件です。

生命付与という点では、父母もまた、祖父母に生命を享けています。祖先がいなければ、両親も、今の自分も、子供も、孫たちの存在もありません。

「父母(ちちはは)も その父母も 我身(わがみ)なり  われを愛せよ 我を敬(けい)せよ」

これは二宮尊徳翁の道歌です。 父母、その父母と連綿と命が続いてきたからこそ自分の命がある。体の中に、親祖先の尊い命があることを思えば、自分を愛し、自分を敬うような生き方をしなければならないということです。同時に、わが生命のもとである親祖先を大事にすることが、自分自身を大切にすることでもあるのです。

亡き人の墓参は、死者を大切にするという心のあらわれです。祖先の墓を大事にし、供養していくことは、祖先を喜ばせることになります。ひいては自分の生命を大切にすることにほかなりません。

若い頃、さんざん親不孝をしてきたというAさんは、墓参を月一回、コツコツと三十年間続けてきました。お墓を大切にすることは、自分自身を大切にすることであると気づいたからです。

Aさんはまず、お墓周辺をきれいに清掃してから、親祖先に近況を報告し、今あることの幸せに感謝して、お礼を述べています。時には自身の若い頃の過ちや親を悲しませてきたことを反省し、墓前で詫びることもあります。

忙しいAさんにとって、この墓参の時間は、親祖先と向き合い、自分と向き合う貴重な時間であるといいます。「だから墓参は自分のためでもあるのです」と語るAさん。月に一度、その時々の決意を親祖先の御霊に誓い、気持ちを引き締めることが、なくてはならない習慣となっているのです。

自分の生命の元である親に純情な心で対座する時、その生命はいよいよ純化して、思いがけない力が湧いてきます。

Aさんの場合は月に一度ですが、人それぞれに事情は違うでしょう。毎日、週一、月一、年一と自分なりに決めて定期的にお墓に参ることで、自己の生命力を更に輝かせたいものです。

祖先は自分の中にいる

親を亡くした人に、「あなたの親や祖先は、今どこにいるのでしょうか?」と尋ねると、「天国にいます」とか、「あの世にいます」とか答えるであろう。中には、「墓の中にいます」とか、「どこにもいませんよ」などと憮然とする人もいる。

はたしてそうした答えの通りであろうか。では天国とは? あの世とは? などと問いつめてゆくと、はたして満足な答えが得られるのであろうか? 大変難しいようだ。

では親祖先ははたしてどこにいるのか? その答えは実ははっきりしている。

「親祖先は自分自身の中にいる」

たとえ親祖先の肉体は今はなくなっているとしても、第一、生物学的にみると親祖先の血はまさしく自分自身の中に流れている。私たちの肉体を構成している細胞それ自体がすでに親祖先のものである。父そのもの母そのものと全く同じではないにしても、この私の身体の中にすでに父母があり、そして祖先があるのである。これは科学的にも否定し去ることはできない事実である。

 

第二は、その自覚である。つまり親祖先は自分の自覚によって自分の中〈肉体〉にあるということである。

〈私は○○の子孫である〉と自覚すると、たとえ血縁はなくても、そのつながりが明確に存在するようになる。養子縁組や結婚によってその家に入るというような場合、○○の家に入ったとか、○○を親とするとかいった自覚がはっきりするならば、親祖先の生命というか、魂というか、そういうものが自分自身に入りこんでくる。

自覚とは簡単にいうと、要はハッキリと、シッカリとそう思い込むことだ。〈朝○時に起きる〉とハッキリと思い込むと、目覚まし時計をかけ忘れてもそのように起きられる。

血縁によるつながりを軽蔑したり、無視したりするのでは決してない。たとえ血縁が薄かったり、無い場合でも、自覚によって新たに親祖先のつながりができるし、それが現実に生きたものとなることを再認識せよと言っているのである。

自覚とは生命の自覚である。魂の自覚といってもよい。「生みの親より育ての親」といった表現の中には、この自覚による親の存在がいかに尊いものであるか明瞭に示されている。

このように、あるいはその血の流れの中によって、さらにその自覚によって、親祖先は自分自身の中にある。墓参して位碑を拝むことなどは、自分自身の中にあるその親祖先をよみがえらせるよすがであり、手立てである。

もともと墓という石や木の位牌の中には何もないではないか。墓を拝むとは、墓をシンボルとして親祖先を拝むことであり、それは結局自分自身の中にある親祖先を尊ぶことに他ならない。親祖先を尊ぼうとすれば自分を尊ばねばならない。勿論、偉そうに尊大に構えるのではない。己の存在の意義を高めるとは、同時に親祖先の存在の意義を高めることになる。親孝行の本質はそこにある。

祖先崇拝の根本は、自分自身の天職を尊び、その仕事に打ち込み、その心を他の人々に押し及ぼして、人を敬し、愛するところに帰結する。自分の中に親祖先が生きているからである。  (『丸山竹秋選集』より)

子供から教えられたこと

日々私たちの身の上には様々なことが起こるものです。

辛いこと、苦しいことには遭遇したくないものですが、逃げずに正面から受け止めれば、生活をさらに良くするきっかけにもなります。

ある姉妹の例を紹介しましょう。 A子さんとB子さんは二歳違いの姉妹です。姉のA子さんは周到に計画を立てて物事を進めていくタイプ。その一方で、几帳面なあまり、心配が過ぎる傾向があります。

妹のB子さんは「思いついたら即行動」がモットー。一気呵成に物事をやり抜きますが、時に周囲を振り回すことがあります。

二人はそれぞれ結婚し、男の子が生まれました。ところが不思議なことに、どちらも同じような皮膚の病気が現われてきたのです。

A子さんは、わが子を見るたびに、〈なぜ、うちの子が…〉という思いが募ります。心配になってインターネットで調べたり、「良い医者がいる」と聞けば、遠方まで診療に赴きました。しかし、症状に変化は見られません。

 

最初は楽観的だったB子さんも、そんな姉の様子を見て、だんだん不安になってきました。そして、〈子供の病気は、親である私に何かを教えているのかもしれない〉と思い、純粋倫理を学ぶ母に相談を求めたのです。すると、「二人とも、自分自身のことを振り返ってみたら」というアドバイスがありました。たった一言でしたが、母の言葉を機に、これまでの暮らしぶりを思い返してみました。

A子さんは、心配のあまり子供ばかりに注意が向き、夫には無関心でした。それどころか、子供の症状が改善されない苛立ちを夫にぶつけていたのです。このことをまず謝ろうと思い、夫に「ごめんなさい」と頭を下げました。夫から「これからも協力していこう」という言葉が返ってきました。

B子さんは、周囲のアドバイスを受け入れることが苦手でした。特に、夫から何かを言われると、いちいち腹を立てていました。そのため会話も少なかったことを反省し、夫の言葉に素直に耳を傾けるよう心がけたのです。

その後、姉妹共通の友人から、よい医者の紹介がありました。それぞれ通院すれば良くなることを告げられ、ホッと一安心。その後の診察には、それぞれの夫婦と子供、六人で病院へ行くようになったのです。夫婦仲が格段に良くなったことは、二人にとって大きな変化でした。

子供自身に、あらわれた病気でさえも、例外なく、親の生活の不自然さが反映したまでである。これを知ったら、世の人々は、どれほど驚くことであろう。又どれほど安心することであろう。こうした事が、うそかまことか、それは人に聞くまでもない。子を持つ世の親たちは、自分自分のこれまでの生活と、子供たちの性質なり、することなりを、静かに観察すれば、はっきりすることである。(『万人幸福の栞』)

私たちの周囲に起こることで、意味がないものはありません。今日一日、今この時に起きてくることをどう受け止めるか。どう見るか。そこに岐路があるのです。

見るは知るのはじまり

倫理法人会に入会して活力朝礼を導入した、ある会社での話です。

朝礼の意義をはじめ、進め方や所作のポイントを教わり、役割分担も決まりました。朝礼の研修に参加した社員が、戸惑いながらも、積極的に準備を進める姿にひと安心した社長ですが、初めてのことだけに心配なこともありました。

その一つが、『職場の教養』を読んで、感想を述べることです。

〈感想といわれても、自分だって何を話したらいいのかわからない。社員たちは大丈夫だろうか〉

案の定、最初の朝礼で感想を述べた社員はしどろもどろでした。しかし、社長は、〈初めからできる人などいないのだから、温かく見守ろう〉と心を定め、じっくり取り組むことにしたのです。

一カ月ほど過ぎた頃に、変化の兆しが現われました。感じたこと、気づいたこと、学んだことを、それぞれが自分なりに話せるようになってきたのです。その日の記事のポイントとは違う部分を捉えたりすることもありましたが、それはそれで面白いものでした。

何より社長が嬉しかったのは、感想を聞くたびに、「そんなユニークな発想ができるのか!」「イメージとは違って意外性のある趣味を持っていた」「今、こういうことで壁にぶつかっているのかもしれない」など、これまで気づかなかった社員の一面を発見できたことです。それまでの社員に対する視線が、いかに狭く浅いものだったかを痛感させられました。

経営者とは教育者でもあります。社員一人ひとりの能力を引き出し、育んでいくことが求められます。ですから、まずはその人をよりよく知っていなければなりません。そして、知るための第一歩は見ることに他なりません。

対象をじっと見るのである。そのままに、感情を交えず、あるがままに、虚心に、平静に。(中略)とにかく見る。たびたび見ておると、はじめ変だったものが、次第によくなる。嫌だったものが好きになってくる。見るは、知るの端(はじまり)である。知ることによって、敬が高まり、和が強まり、愛が深まる。

(『作歌の書』丸山敏雄著より)

朝礼を通じて、これまで気づかなかった社員の一面、すなわち新たな可能性を発見した社長は、躊躇なく新たな業務を任せられるようになりました。

経営者には、こうして人を見る目が求められるのはもちろん、様々な物事、時には未来を見通す目が求められます。先の文章のように、見ること、知ることが対象への敬愛をより高め深める、つまり、善悪や美醜といった表面的なことを超越した人間や現象の本質を捉えることにつながる目を養いたいものです。

ガラス玉でも、節穴でもない目を養うのは、純情(すなお)な心に磨きをかけることです。それには、日常の実践です。気づいたらすぐする、何事も喜んで受けるなど、これまで行なってきた実践を今一度見直し、経営者の目を養っていこうではありませんか。