鬼才が守った伝統文化

1昨年、「おもてなし」という言葉が流行語大賞に選ばれました。
これは二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピック招致のためのプレゼンテーションで、
滝川クリステル氏が発した言葉です。「お・も・て・な・し」という言葉と
お辞儀のジェスチャーは、世界中の人々に、好印象を与えたのではないでしょうか。
「おもてなし」は、日本人の精神を象徴した言葉の一つです。日本には、
先人たちが大切にしてきた精神が長い歴史の中で育まれ、洗練され、今に息づいています。
ところが、今から七十年前、日本は占領下に置かれ、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)
により、教育をはじめ、様々な分野が規制・監視された時期がありました。その規制の対象は、
伝統文化の一つである「将棋」にまで及ぼうとしていたのです。
ある日、GHQから将棋界の代表者に出頭が命じられます。呼び出されたのは、独創的な指し手、キャラクター、数々の逸話で知られる、将棋界の鬼才・升田幸三棋士でした。
軍服を着た四、五人と通訳一人に対し、日本側は升田棋士一人です。やがて質問が始まりました。
「日本の将棋は、取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待であり、
人道に反するものではないか」
 ここを突いてくるだろうと覚悟していた升田棋士は、次のように答えました。
「日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想である。しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」(
升田幸三自伝『名人に香車を引いた男』中公文庫より)
一連のやり取りが五、六時間続き、将棋は守られたのでした。
将棋の歴史を辿ると、古代インドのチャトランガ(ボードゲームの一種)を起源とし、
西に流れてチェスに、東に流れて将棋となった、という説が有力です。
インドから中国を経て、日本に伝わり、長い歴史の中で独自の発展を遂げ、「駒の再使用」
というルールが生まれました。升田棋士は、そうした将棋の伝統に潜む日本文化の本質を理解し、強い自負心を持っていたからこそ、堂々と主張することができたのでしょう。
倫理研究所では、会員が心にとどめ、目標として向かうべき事柄として、次のような「信条」
を掲げています。
「我等は、日本文化の本質を明らかにし、世界の文化を摂取して、生活の向上に努めます」
日本には先人から受け継がれてきたたくさんの伝統が存在します。将棋のように、
海外から伝わり、日本独自の文化として変容したものもあります。
歴史の中でさまざまな試練を乗り越え、磨かれ、紡がれた日本文化の本質を認識し、
尊ぶところから「生活の向上」の一歩は始まるのでしょう。