リズムに乗る

二三人寄ってきて「セーノ!」のかけ声もろとも、ピアノをかつぎあげる。
三百キロから六百キロくらいの重さのあるものを、ヒョイとかついで歩きだす。
そして、トラックにつみ上げ、おろし、時には機械の力をかりて、高いビルの部屋に運び上げたりするのである。
「たいへんですね。力がいるでしょう」ときくと、
「もちろん力はいりますがね。それよりもリズムに乗ることですよ。
調子をあわさなけりゃ、こんな重いものを傷つけずに運ぶことはできませんわ」
との答えが屈強な男たちから返ってきた。
 ピアノの運送は専門家の仕事だ。そのコツは、言う通りリズムに乗って協力することだ。
一人が勝手なことをやっていては運べない。
 リズムが重要だといっても、いつもかんたんにそのリズムに乗れるわけではない。
時にはリズムを乗りはずして、よろめき、ケガをしそうになったりする。
だから、苦心や努力がいつも必要だ。だがしかし、そこにこそ運搬、運送の面白味もあるのである。
何でも楽々とできたら、人生に面白味もなければ、爽快さもあるまい。
 事業は世の中の変化によって大きな影響を受ける。そ
の変化にも限りない綾というべきものがあって、一様ではない。
また盛んになったり、衰えたりして循環するリズムもある。衰えるリズムにもその乗りかたがあるのだ。
あわてっ放しの落胆しっ放し、悲しみっ放しの「放し」ばかりでは、リズムに乗れない。
衰亡の波の谷間にあるときこそ、いかにすべきか反省し、研究し、改善改良の工夫を加え、アイデアを活かしつつ勇んで働く。
これがリズムに乗ることなのだ。
これらがかんたんにはゆかず、苦しむときもあろう。しかし、そこにこそ人生の妙味があるのではないか。
逆境のリズムの中にこそ、順境のリズムが盛り上がりつつあるのである。
生老病死も人生のリズムの一つである。病気をせず、老衰で死ぬ人もあるであろうが、
それでも歯が欠けたり、カゼをひいたり、ケガをしたりするくらいはあるであろう。
生まれるリズム、死ぬリズム、病気やケガのリズムも厳然として存在するのである。
表面的にみてよくないと思われるリズムのときは、まず、そのリズムに在ることを肯定し、
恐れたり、憎んだり、怒ったりする気持ちを早めに捨てて、朗らかに乗ることである。
朗らかにとは明るい気持ちのことだ。病気になり、痛みもひどく、
苦しいのに何が朗らかになれるかと反撃されるかもしれないが、
その痛さ、苦しさを「これもリズムなのだ」と受け入れることである。
痛いのは痛いのだし、苦しいのは苦しいのであるから、そう受ける以外にはないではないか。
ただ「痛い、苦しい。ダメだ!」などと泣き叫ぶだけでは、リズムに乗れない。
そうした朗らかな心で、さらに工夫研究をして、心を練り上げることだ。

常に朗らかな心・感謝の心で臨み、成長への上昇気流に乗ります。