一杯のご飯も私の一部分

日本は世界最大の農産物輸入国です。先進国の中で、食料自給率が40パーセントを切っているのは日本だけです。

食生活の多くの部分を輸入に頼りながらも、さらに問題視されている事柄があります。それは「食品ロス」の問題です。

農林水産省の発表によると、まだ食べられるにも関わらず、売れ残りや食べ残しにより、年間およそ632万トン(食品産業330万トン・一般家庭302万トン)もの食品や食材が廃棄されているそうです(平成25年)。この量は、国民一人ひとりが、毎日茶碗一杯のご飯をゴミとして捨てていることと、ほぼ同じになります。

こうした状況を変えようと、「食品ロス」を減らす運動が今、全国に広がりつつあります。

その一つが、「三○一○(さんまるいちまる)運動」です、これは、宴会の「初めの三十分間」と「お開き前の十分間」は、自分の席で料理を楽しむ時間にしようと参加者に呼びかけるものです。

Yさんは、ある宴会に参加した際、この運動のことを知りました。とても良い取り組みだと思い、最後の十分間は、日頃、食べ残してしまうようなものにも箸を伸ばしました。例えば、刺身のつまです。

いつもなら手をつけない大根や人参の千切りを率先して食べてみると、思いのほか口の中がサッパリとしました。これまでは、〈単なる飾り物〉〈安価なもの〉〈鮮度が気になる〉などと馬鹿にしていた「つま」が、案外おいしいものだと気がついたのでした。

同じように、自宅では、妻が作ってくれた料理に対して、「今日は煮魚が食べたかった」「もっと薄味がいい」などと注文ばかりつけていたのです。

Yさんは、自分なりの理屈をつけては食べ物の選り好みをしていたことを反省しました。そして、食卓につく際、次の三つの事柄を心がけるようになりました。

①出されたものを、自然の恵みとしていただく。②生産者・料理人の心をしのんで感謝し、労をねぎらう。③食膳にあがったものは、喜んでいただく。

この心がけにより、食事に不平不満を言うことが減ったYさん。さらに、〈ありがたい〉という気持ちが強まるにつれ、食材の購入や食後の後始末を家族と一緒に行なうようになりました。感謝の気持ちが、行動へと変わっていったのです。

私たちにとって、食物は命の糧であり、生命を養うためのエネルギーです。今日いただく一杯のご飯、一杯の汁が、自分の血となり、肉となり、骨となります。だとすれば、食卓に並んでいる食べ物そのものが、わが生命の一部なのだとも捉えられるでしょう。

年末にかけて宴席が増えたり、ご馳走をいただく機会が多くなる時期です。目の前にある食べ物は、自分の生命の一部なのだと自覚して、感謝をもって向き合いたいものです。その心は、食べ物を無駄にしないという行動につながり、やがて日本全体の食品廃棄をも減らす一助となるでしょう。