『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

3月30日 「小事こそ大事」

「立ち遅れる指導者はいても、立ち遅れる大衆はいない」。
これは中国の格言です。

小さなほころびから、敗北が始まるのです。
小事こそ、大事です。

安心それが、人間の最も身近にいる敵なのです。
幸之助は、あくまで対話と調和によって、矛盾を解決する
経営を行ってきました。
小事こそ大事なのです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

3月29日 「経営理念は企業の顔」

「経営理念は企業の顔であり、企業の鏡であり、企業の魂である」
そして、企業の生命であり、企業そのものです。
経営理念を軸に会社はまわるのです。

経営理念は、自分と事業の懸け橋なのですから、
大切に大切にしなければなりません。
いつも無言の教えをうけていました。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

3月28日 「是非ともやり遂げたい」

幸之助から厳しく叱られました。

「是非ともやり遂げたいという、願望があってこそ、事業は成功する。
少々希望するという程度では、成功はおぼつかない」と。

経営者の強い魂のみが、人の心に灯火をともし、
勝利への道を拓くのです。

私が赤字会社の再建に成功したのは、この言葉があったからです。

「ナレ」と「アキ」

タイトルを見て、「新しい連続ドラマ?」と思う方がいるかもしれません。
「慣れ」と「飽き」をカタカナで表記したものですが、通常、漢字で書かれる字が、
見慣れないカタカナになると、途端にイメージしにくくなるものです。
何かに「慣れ」るという状態は、心の平静さを保てる反面、心に隙を生じさせることもあります。仕事や人間関係でも、時の経過と共に慣れが生じ、それは時に緊張感を喪失させ、
失敗の遠因にもなりかねません。
倫理法人会で学ぶA氏は、入会して二十年になります。「モーニングセミナー(MS)で
『万人幸福の栞』を読むたびに、今でも毎回新たな発見がある」と語ります。
一方、B氏は入会して一年です。当初は所属単会のみならず、他会のMSにも積極的に
出席していました。しかし、次第に講師の話も耳にしたものが多いと感じるようになり、
新鮮味がなくなったといいます。退会も考え始めました。同じように学びながら、A氏とB氏の
差はどこにあるのでしょう。
慣れが進むと、「飽き」の状態に陥ることもあります。飽きは目の前にある学びのチャンスを、
自ら逃してしまう心です。
そうした意味で、慣れが黄信号だとすれば、飽きは心に灯った赤信号だといえるでしょう。
物事にすぐ飽きてしまう人は、どこに行っても成長の芽を自ら摘み取っているようなものです。
前述のA氏にも、かつてB氏と同様の時期がありました。その時、先輩からこう
問われたそうです。
「セミナーで聞いたことをどれだけやってみた?」
A氏は返す言葉がありませんでした。「あの問いのお陰で今がある。〈どれだけやっているか〉
と自分に問い続けている」と語ります。
儒教の祖である孔子は、弟子にこう諭しました。「これを知るをこれを知ると為(な)し、
知らざるを知らずと為せ。是(こ)れ知るなり」と。すなわち、「知らないことを
知らないとする。それが知るということだ」というほどの意味になるでしょう。
 孔子の教えにならえば、世の中には大別して二つのタイプの人がいます。①知らないことを
知らないと自覚できる人。②知らないのに知っていると錯覚する人。①は成功の秘訣を
知っている人であり、危いのは②の人でしょう。
「知る」とは、知らないことの方が多いのだと、すなおに銘肝することから始まります。
そこで初めて「知っているつもり」という錯覚から脱却できます。しかし、
それで終わりではありません。
純粋倫理において「知る」とは、実践を伴うものです。実践なき机上の学びは雑念に過ぎず、
それは時に人を責める武器になることさえあります。②の人が危いのはそのためです。
この学びは、あくまでも自身の学びであり、人に向けるものではありません。
慣れや飽きを感じた時ほど、自己を磨く最良のチャンスです。まずは今の自分をすなおに
受け入れ、心新たに行動に移した時、また一歩成長できるのです。

ベテランの盲点

ある住宅設備会社が、配管工事を受注した時のことです。
設計から工事まで滞りなく進み、設備の据えつけが終了しました。
住宅設備会社のA氏は、工事部門の担当であるB氏と共に、納入先に出向きました。
そして、お客様に機械の説明をし、試運転を始めました。
その時です。つなぎで使用している配管の上に、B氏が何気なく土足で上がったのです。
A氏は一瞬「あっ」と思いましたが、そのまま試運転が始まりました。
その場は何事もなく終了しましたが、納入を終えた後、先方の関係者がA氏に近づいて、
こう囁いたのです。
「先ほど納品されたばかりの機械の〝つなぎ〟の部分に、靴のまま上がっていましたね」。そして「以前にもBさんは似たようなことがあったんですよ」と付け加えたのです。
A氏はただ謝罪する以外はありませんでした。
B氏は、工事部門の部長を長年務めている大先輩です。職人として社内で一番の技術を持つ
大ベテランで、A氏も日頃より尊敬していました。
その一方で、長年の経験をもとに仕事を進めるため、人の話をあまり聞かない面があります。
わが道を行く職人気質の先輩でした。
会社に戻ったA氏は、この出来事を社長に報告しました。社長は「部長には私から言っておくよ。まあ、今に始まったことでないからね」と、事態をあまり重く受け止めていないようでした。
A氏はかつて、小さなミスに気づいていたにもかかわらず、そのまま放置し、仕事が減り続け、
ついには廃業に追い込まれてしまった取引先を目の当たりにしたことがあります。
それだけに、〈ここで軌道修正をしておかないと、取り返しのつかないことになる〉と、
危機感を募らせたのです。
ベテランの技術や経験は、会社の財産である一方、慣れから生じるスキや気のゆるみは、
危機にもつながりかねません。翌月の社内会議の中で、A氏は、お客様に喜んでいただくためには原点に戻ることが大切ではないかと、勇気をふるって発表したのです。
すると、数名の社員から、「納入したら終わりでなく、問題なく稼動しているかを確認し、
アフターケアを怠らないことが次の受注につながるのではないか」といった前向きな意見が
上がったのです。
またB氏も、自分自身を振り返って、仕事で使う道具を大事に扱っていなかったことを
反省したそうです。そして、先日の試運転のことを思い出し、気を引き締めることを
誓ったのでした。
倫理研究所の創立者・丸山敏雄は、『万人幸福の栞』の中で「小さいことに末を乱す人は、
大切なことに終わりを全うしない」と説いています。後始末の要点は、終わってもなお緊張を
ゆるめないところにあります。特に小さなことは「まあ、いいか」と曖昧にしたまま放置しがち
です。長年行なっている仕事の後始末を会社全体で点検して、改善するべきは改善して
いきたいものです。