『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

3月31日 「毎日が自分との戦い」

幸之助はいつも自分に言い聞かせていました。
「毎日が自分との戦い。だから、けじめを付けなければならぬ。
日々決算すれば、一年で365回真剣勝負出来る」と。

幸之助は、常に一人ひとりの生身の苦悩に向き合うことから出
発していました。
毎日が自分との戦いと覚悟を決めて過ごせば解決出来ないも
のはなにもないのです。

『万人幸福の栞』を学び苦難を前向きに捉える

倫理法人会では「純粋倫理」を中心に、倫理に基づいた経営のあり方、倫理に基づいた経営者としてのあり方を学んでいます。
 特に、テキストとして使用している『万人幸福の栞』には、古今東西の偉人・賢人が肌で感じてきた「人間関係をよりよくしていくためのエッセンス」が凝縮されており、人間力を高める上でのものの見方・考え方が理解できる名著として、60年以上にわたり会友に読まれています。
 経営者のA女史は、自身の歩んできた人生観と倫理法人会の学びが同じであることを知り、入会した一人です。A女史は病弱な両親のもとで産声を上げました。両親が病弱のため家庭は貧しく、収入もないため、小さい頃より親戚や近所の家に行っては家事育児を手伝うことで小遣いを稼ぎ、夜は内職をして献身的に家族を支えてきました。
 一般家庭の子供であれば、祝祭日や春夏冬の休みなどは家族で旅行に出かけたり友達と遊んだりするのですが、A女史は高校三年生まで一度も家族で旅行に出かけることも友達と遊ぶこともありませんでした。A女史にとって休日というのは、「働いて生活費を稼ぐ日」であったからです。
 その後、A女史は高校を卒業し、地元の企業へ就職をして結婚をしましたが、第一子の長男が血液の癌に冒されていることを医師から宣告されたのです。しかし、A女史は悲嘆にくれることなく、長男が少しでも元気になるよう、高額の医療費を払いながら必死に働き続けました。
 その後、長男は小学生に上がりましたが、治療のため学校に行けないことも度々ありました。学校に出たとしても他の子と同じような生活はできません。そのため周囲からいじめの対象となり、泣いて家に帰ってくることが増えてきました。
ある日、A女史はいじめっ子の家に行き、母親に会って長男の病気のことを説明していじめをしないよう願い出たところ、「障害のある子供を生んだお前が悪いんだ」と一蹴されたといいます。普通であれば、相手の一言に激昂するのでしょうが、A女史は「そうだな、体の弱い子を生んだ私が悪いんだ」と思い、「この子を人並みの生活ができる強い子供に育てよう」と決心したといいます。 
長男は母親の深い愛に育まれ、現在は東京でタクシーの運転手として働きながら元気に暮らしています。
「いじめっ子の母親の一言があったおかげで今の人生があるので、本当に感謝しています」と語るA女史。苦難を前向きに捉えて受け入れる姿勢は、まさに倫理法人会で学ぶ「苦難は幸福の門」の典型的な考え方といえるでしょう。
 私たちは『万人幸福の栞』というテキストを通じて、人生をより豊かにより幸せに生きるためのものの見方や考え方を学んでいます。A女史のように、すべての出来事を前向きに受け入れることは難しいかもしれませんが、少しずつものの見方や考え方を修正して、「生きていてよかった」と思える人生を送りたいものです。

高き信仰心を持ち優良企業を目指そう

倫理法人会には唯一のライセンス制度として、「倫理17000」があります。同ライセンスは倫理法人会の会員企業の中で、倫理経営を顕著に実践している企業が認定されるものです。去る11月には認定企業が集まった「倫理ライセンス17000倶楽部」が石川県金沢市において開催されました。
 倫理経営の具体的な実践例などを学ぶもので、参加者はその学びを通して倫理経営に磨きをかけ、互いに切磋琢磨し合いました。その中で、創業百年以上続く企業に共通する特徴についての話があり、「多くが社内に神棚を備え神様を称え、その大いなる存在の力(ご加護)を受けている」という内容でした。
 倫理法人会の会員心得の一つに、「一宗一派に執せぬ高き信仰と道義実践を生活の両翼と致します」とあります。前半部分の「一宗一派に執せぬ高き信仰」とは、特定の宗教宗派には偏らず、不自然ではない宗教心(信仰心)を自分自身の中で高めていこうというものです。
 倫理運動の創始者である丸山敏雄は、「信念ある文化生活」(『歓喜の人生』)の中で、信念ある生活(経営を含む)のために正しい宗教心を持ち合わせることの重要性を述べています。
家庭における文化の中心として、特に取りあげて考えなければならぬことは、宗教である。宗教は人格の中軸をなすとともに、家庭和楽の中心をなす。中心がふらついていると、何事か起こった時、たちまちとまどいしてしまう。宗教こそは、人間生活に不動の中心を打ち立てるもの。人は、強い信念・信仰によって、はじめて生活が確立する。
また「これからの教育」(同上)という論文では次のようにまとめています。
アメリカが今日の大を成したのは、科学でもなくドルの力でもない。その基盤に一貫して不動なるピューリタンの精神があったからである。我国の再建も、この宗教教育をよそにしては思いもよらぬことである。
 倫理経営の基盤となる純粋倫理は、宗教ではありません。しかし日々の生活の中で、神仏(大いなる存在)との関わりを大切にする一面があります。例えば『万人幸福の栞』では、第十五条「祈りは神にすがって信念を確立するのである」や、第十七条「人生は神の演劇、その主役は己自身である」などです。
 ある経営者は、その問題を解決しなければ廃業にもつながる難問を抱えていました。その時に、この宗教心の大切さとそこから派生する信念を持ち合わせる重要性を知って、毎日先祖の墓に誓いを立てに行き、信念を貫き通しました。その結果、奇跡的にその難問をクリアし、さらに新たな発展を成し遂げることができました。
 常に「神仏に見守られている」と神仏を認め、これをあがめる時、不思議な力や奇跡的な結果が現われることを信じ、困難な現代においても逞しく生き抜きたいものです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

3月30日 「小事こそ大事」

「立ち遅れる指導者はいても、立ち遅れる大衆はいない」。
これは中国の格言です。

小さなほころびから、敗北が始まるのです。
小事こそ、大事です。

安心それが、人間の最も身近にいる敵なのです。
幸之助は、あくまで対話と調和によって、矛盾を解決する
経営を行ってきました。
小事こそ大事なのです。

純粋倫理の醍醐味を自社の経営に活かせ

「成功する経営者は、自然の哲理を知っている」といわれます。生活を営み、また事業商売を営んでいく時、そこには必ず正しい生き方という、哲理・道理・原則があるはずです。その生き方を学ぶ場が、倫理法人会の数々の行事です。
 純粋倫理でいう「道理」「原則」とは何でしょう。それは純粋倫理の基本となる《七つの原理》です。その原理に触れてみましょう。
①「全一統体の原理」。この世のあらゆる物事は、それぞれ別々の分離した個体ではなく、隠れた次元でひとつにつながれている、というものです。『万人幸福の栞』にある「人の世のすべては自分の鏡であって、自分の心の生活を変えると、その通りに変わる」ということです。
②「発顕還元の原理」。振り子と同様、「出せば、入る。捨てれば、得る。与えれば、与えられる。むさぼれば、失う」ということです。お客様のために尽くせば、必ず自社に返ってくるものがあります。
③「全個皆完の原理」。起きてくる現象(苦難)を嫌わずに受け止め、「これがよい」と肯定し、自分の誤りや不自然な生き方を改めていく時、おのずと苦難は解決していきます。
④「存在の原理」。人を対象と考えた時、あらゆる物事は二つと同じものはなく、他と比べようがありません。自分という人間は「いま・ここ」に生き物として、この肉体をもって厳然として在ります。他の誰かと取り替えることができない、たった一つの存在です。自分は唯一絶対の存在であるからこそ、「明朗に生きる」という実践が生まれます。自分の心が明朗になると、相手の態度も変わり、商売の結果も変わり、運命が好転していくというものです。
⑤「対立の原理」。存在する物事はすべて対立しています。一方があれば、もう一方があり、上下・前後・男女・親子・美醜などです。その対立したものが一つになった時、物事は成り立ち、それ以上に発展していくのです。『万人幸福の栞』の夫婦対鏡にある「夫婦は合一によって、無上の歓喜の中に、一家の健康と、発展と、もろもろの幸福を産み出す」というところで理解できるでしょう。
⑥「易不易の原理」。変化興亡の厳しい現状です。この激動の中で、変えなければならないことは変える。しかし、変えてはいけないものは決して変えない、特に、経営の目的(理念)は変えないが、変化には柔軟に応じていくということです。
⑦「物境不離の原理」。この「境」は「場」あるいは「環境」と捉えます。「物が物としてあるためには必ず場があり、物がなくて場だけあるということはありません。社屋(物)は土地(境)があるから存在するのです。その物と境に対して、「この場所が最も良い所」と感謝することにより、社屋・工場も生きてくるのです。
以上、倫理の基本となる原理を簡単に述べました。自社の経営に導入され、純粋倫理の醍醐味をつかんでいただきたいと思います。