木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
3月12日 「わしの無念が君にわかるか」
「こんなことで君を叱らねばならない、わ
しの無念が君にわかるか」と、涙ながらに
叱られました。
幸之助からこのように言われて叱られたの
は初めてです。
幸之助は、私と今の世で会うのは前世の縁
かもしれないと思ったのでしょう。
人との縁を大切にし、人の心と心を大切に
する人でした。
人づくりは、終世の課題です。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
3月12日 「わしの無念が君にわかるか」
「こんなことで君を叱らねばならない、わ
しの無念が君にわかるか」と、涙ながらに
叱られました。
幸之助からこのように言われて叱られたの
は初めてです。
幸之助は、私と今の世で会うのは前世の縁
かもしれないと思ったのでしょう。
人との縁を大切にし、人の心と心を大切に
する人でした。
人づくりは、終世の課題です。
普段、何気なく呼吸している
空気の不思議についてご存じでしょうか。
空気の成分は、酸素が21%、窒素が78%、その他1%という構成比になっています。この構成比は、何十億年もの間、変化していません。それが保たれていたからこそ、様々な生物種が進化し、生き続けることができたのです。
もし、空気中の酸素が1%でも上昇すると、発火(火事)の危険が倍加します。さらに酸素が25%になったとしたら、どこかでマッチ1本でも擦ると、たちまち火が燃え広がり、あらゆる植物が燃え尽きてしまうそうです。
科学者による単純な計算では、1万年くらいの時間スケールで、空気中の酸素の量は1%上昇するはずだといわれていますが、いまだにそれは起こっていません。
このことを考えると、人間やその他の生物が、自分の体温や呼吸数を一定に保とうとするホメオスターシス(恒常性維持機能)を有しているように、地球にもその機能があるのかもしれません。
地球はまさに奇跡のような力で満ちていて、目に見えない大きな力で守られて生活をしているのが私たちなのでしょう。
*
地球人の、地球人による、地球人のための倫理。これを地球倫理と呼ぼう――。
今から32年前、1985年に、倫理研究所二代目理事長・丸山竹秋は、「地球倫理の推進」という論文を発表しました。
地球倫理の大きな特色は、人間関係を豊かにする倫理にとどまらず、地球や様々な自然的存在物(大地、空気、火、水など)に対する規律規範も探求し、実践することを包含している点にあります。
この言葉が提唱された当時は、「土地は必ず値上がりする」という土地神話が信じられていた時代です。多くの人が転売目的で土地の売買に参加するなど、バブル経済の只中において、周囲からの反応はほとんどありませんでした。
しかし、丸山竹秋はその後も研究を続け、広く社会へ、その必要性を訴えていきました。
先の例にあげた空気をはじめ、食べ物や飲み物、燃料なども、すべて地球から与えられる恵みです。 その地球の環境に対して、私たちはどれほど目を向けているでしょう。人類が抱えている危機のうち、環境問題ほど、子孫に与える影響が大きいものはありません。
それを乗り越えるための一歩は、地球や自然に対するものの見方や生活様式を見直すことから始まるでしょう。その大本になるのが、地球倫理です。
そして、緑を大切にする、水や電気を節約する、物をリサイクルするなど、身近な取り組みが地球倫理実践のスタートです。
その心構えは〈自分一人がやっても意味がない〉〈一人の力では大きな流れを変えることはできない〉と消極的にならないことです。一人ひとりの自覚と、着実な実践こそが地球倫理の要なのです。
その心構えは〈自分一人がやっても意味がない〉〈一人の力では大きな流れを変えることはできない〉と消極的にならないことです。一人ひとりの自覚と、着実な実践こそが地球倫理の要なのです。
安岡正篤 一日一言
心を養い、生を養う
3月11日
四十、五十仁して聞こゆるなき①
世間的にはさして地位や名声がなくても、いわゆる名士・有名人でなくても、自らその環境の中で名が聞こえない、おるのやらおらぬのやらさっぱりわからない、お前おったのか、というようなことではつまらない。
少しできた人間ならば世間はともかく、少なくともその仲間環境の中には必ず聞こえるものだ。
「四十、五十にして聞こゆるなきは(畏るるに足らざるのみ)」というのはそういう意味だと解釈しても、私は少しも差しおえないと思う。…
またそれでよい。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
3月11日 「商売とは、感動を与えること」
「感動を与え、喜びを与えることがなかったらアカン。
与えずして、何かを得ることは、負債を負い込むこと。
商売は借り方になったらアカン。貸し方にならないといけない」
私は幸之助から何回もこの言葉を聞かされました。
知識や理論だけでは、人は感動しない。
心を開いて、魂と魂の対話をした時に初めて人は感動するのです。
感動を与える商売ほど、立派なものはないのです。
人間は何のために生まれそして生きているのか。
地球をより美しく、よりりっぱにするためである。同時に自分の生活をより美しく、よりりっぱに、みごとにその良き持味の華(はな)をあらわすためである。
私たちは地球をきたなくするために、醜悪にするために生きているのではない。あたりまえではないか。
持味とは、もとからそなわっている味のことで、その人がもともと持っている良い性質、特質、個性のことである。その持味を十分に発揮して活躍し、この地球上に、それぞれりっぱな○○(だれそれ)の華を咲かせることである。
一口に「~のため」といっても、その「ため」はいろいろの意味に解される。金もうけのために生きているとか、食うために生活しているとか、また人のため、社会のためになるようにとか、さらには生きたいからただ生きているのだとか、そのほかさまざまな「~のため」をとらえることができよう。
それぞれ意味があり、理屈もあることだが、かんたんにいって「地球を美しく、りっぱにするため」は、わかりやすいのではなかろうか。そして意義も高いのではなかろうか。
朝起きて、洗面し、外を見る。空気を吸いこむ。そうしたとき、
〈この地球、母なる大地。自分が住み、そうして他の人々、生きものなどが共に棲んでいるこの偉大な地球を、感謝し、すこしでも美しくきれいにしよう。これは自分のためでもあるのだ!〉
と一瞬でも自覚することだと思う、たとえ一瞬でも。
ガソリンを燃やせば、それだけ大気がよごれるのは仕方がない。しかしドライバーが心の底で、さらに良い機械が発明されることを念じ、すこしでもむだな運転をつつしむように工夫することは、「美しくする」ことに通じよう。きたない地球をほったらかしにしておくのと、どちらが良いのか。
良い持味は、美しく、りっぱにしようとするところから発揮される。きたなくする、人に迷惑をかける、悪いことをすることからは、悪い味しか出てこない。持味には悪いものもある。人間にとっての毒キノコは、その毒が持味なのである。だから、良い持味つまり自分の個性を発揮させようとするためには、美しいこと、良いこと、人のためになることなどをしようとつとめることだ。地球は人間も棲んでいるから、地球を美しくするとは、人間を美しくすることである。地球をりっぱにするとは、人間をりっぱにすることとなり、その人間の中には当然自分自身も含まれるのである。
地球は一つの巨大な生きものである。地球は大活動をし、変転している。この地球をうち壊そうと毎日働いているのが人間つまり私たち自身であるといって良い。
地球倫理とは、地球を愛し、敬し、あがめる倫理のことである。今まさに人類は、個々の人間の華を美しく咲かせて、地球を楽園にしなければならぬ大使命を持っている。 (『よろこんで生きる』より)