木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
11月14日 「私心を慎む」
「何が正しいかということに、確固たる信念を持つならば、
そこから出る勇気は、非常に力強いものとなり、成功への道を歩むことになるのだ」
と、幸之助が声を大にして戒めていたのは、
自分だけのことを考えたり人を出し抜いてうまくやろうとすることでした。
私心を厳に慎むべきです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
11月14日 「私心を慎む」
「何が正しいかということに、確固たる信念を持つならば、
そこから出る勇気は、非常に力強いものとなり、成功への道を歩むことになるのだ」
と、幸之助が声を大にして戒めていたのは、
自分だけのことを考えたり人を出し抜いてうまくやろうとすることでした。
私心を厳に慎むべきです。
建築設備会社を営むO氏は、十年目になる社員Kさんのことで悩んでいました。
Kさんは元来、黙々と仕事をこなすタイプです。最近では、他の社員とも積極的にコミュニケーションをとって、仕事への意欲が感じられるようになっていました。
〈そろそろ役職を任せよう〉と考えていた時、思いがけないKさんの言葉を耳にしたのです。
「みんなが泥だらけになりながら仕事をしているのに、社長はよくも毎日、好きなことばかりしていられるよなっ」
たまたま通りがかった時に聞こえてきたKさんと同僚の会話。声の調子には、積もり積もった日頃の不満が感じられました。
その日はそのまま帰宅したO氏ですが、その言葉が頭から離れません。思い返すたびに腹立たしく、悲しさが込み上げます。
O氏はもともと人間関係を築くことが苦手でした。経営に関しても自信がなかっただけに、マネジメントや社員教育に関する本を片端から読み、自分なりに勉強をしてきました。それなのに…。
Kさんの辛辣な言葉を思い出しながら、思いを巡らせていると、ふと日頃から社員にかけている言葉が脳裏に浮かんだのです。
「俺がとやかく言わないのは、お前たちを信じているからだぞ」
それは経営者として良かれと思っての言葉でした。しかし、〈はたして自分は本当に社員を信じていたのか。社員が気持ちよく働ける場所を作ってきたのだろうか〉という疑問が心に湧いてきたのです。
そして、自問自答の末、社員たちを心から信じきれていない自分に気づいたのです。
O氏は、本当の意味で社員を信じて任せきれる社長になりたいと心に誓い、「最後の責任はすべて自分自身がとる」と決意を新たにしました。
翌日、社員たちが気持ちよく業務に取り組めるよう、普段よりも二時間早く出社し、Kさんや他の社員の机をすべて拭き上げたO氏。ところが、その日現場に直行したはずのKさんが、不注意から事故にあってしまったのです。
入院六カ月との報告を受けたO氏は、Kさんの抱えていた仕事をすべて引き継ぎました。そして、〈Kは必ず復帰してくる〉と信じ、祈るような気持ちで、毎日清掃を続けました。
三カ月を過ぎた頃から、自分と一緒に雑巾がけをしてくれる社員が増えてきました。社内全体の環境が少しずつ変化してきた頃、Kさんが復帰してきたのです。
〈自分の居場所はあるのか〉と、解雇も覚悟しながら出社したKさんを迎えたのは、ピカピカに磨き上げられた机でした。そして、O氏は、戸惑っているKさんの肩をたたきながら、「おかえり。また頼むぞ」と笑顔で出迎えたのです。
心の内には、Kさんが復帰できた喜び、そして、彼のお陰で自分は変わることができたという喜びが溢れていました。
それからしばらくして、Kさんは役職を受け、今ではO氏の片腕として活躍しています。
「経営」という言葉は、何を意味するのであろうか。
辞書によると「規模を定め、基礎を立てて物事を営むこと。工夫をこらして物事を営むこと」と説明してある。これらの意味によると、社長や重役たちだけが経営者というのは、おかしなことである。なぜなら、平社員だって、それぞれの受持ちの分野で、規模を定め、基礎を立てて物事を営んでいるからである。
社長は経営者である。しかし電話の交換手もエレベーター嬢も経営者である。電話の具合について、その取り扱いについて、自分の関係する範囲において、それなりの仕事の組み立てをして仕事をする。
受付の仕事にしても同じだ。受付とは玄関口であり、最も難しく、そこでの工夫や配慮などはかなり深く必要とされる。その意味からも受付嬢は経営者である。
使用主あるいは使用人とかいった考え方がある。「自分は人を使っているのだ。そして使用している者に、その働きに応じて金を払ってやっている。自分は経営者なのだ」といった考えである。
しかしこれは「使っている」という考えに間違いがある。使われている者の方から見れば、そこで働いてやっているからこそ、その仕事が成り立つのであって、その意味からは使用人が使用主を使っているということになる。使用人が一人もいなくなれば、使用主は悲鳴をあげつつ、その仕事を辞めざるをえない。
このようにみてくると、いわゆる労働者という概念も問題になってくる。社長も部課長も労働をしているのであり、なにも一般社員だけが労働をやっているのではない。精神労働という範囲では、責任が重くなるにしたがって、労働の内容も重くなるのが普通であり、その意味からは社長は最も大きな労働をしているということになる。
働きという仕事の本質からみると、すべてが経営者、すべてが労働者であり、それぞれの分野において仕事に勤しむべきものであり、経営者と一般社員との対立敵視などという問題は、根本的にあるべきものではないのである。
それでは一般の社員と社長と、どこが違うかというと、責任の重さと広さが違うといってもよい。
エレベーター係は、エレベーターのことに責任があるのであり、受付のことにはない。
しかし社長は全体として、責任を問われることになる。エレベーター係のミスは、同時に管理課長の責任でもあり、社長の責任でもある。だから社長は部外者に対して「エレベーターのことで、ご迷惑をおかけしまして、どうもすみません」と詫びなければならぬこともある。
部長は部長として、部全体のことについて責任がある。社長は全体についてあるというわけである。
指揮とか掌握とか、そうしたことについては、もはや言う必要はない。主とか長とかいうのは、そうした責任とか指揮とか掌握とかのありかたを示すものなのである。
しかしながら、ここでいわゆる経営という面については、すべての人がそれに携わっているという根本を見失ってはならないのである。
安岡正篤一日一言
心を養い、生を養う
11月13日
人物の根本①
人物ということはどういうことをいうのであろうか。
・・・まず看過(かんか)することのできない根本は何か。
それはわれわれの活力であり、気魄(きはく)であります。…
性命力(これも生の字よりは性のほうがよろしい。
肉体のみでない、霊を持っているという意味で性命という)に富んでいる、つまり神経衰弱的であってはならない。
意気地(いくじ)がないというのではならない、根本において肉体精神を通じて活発々たる、燄々(えんえん)たる迫力を持っている、これが大切です。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
11月13日 「使命感を持て」
幸之助は、「人間が知恵才覚を持って確固とした経営を行うかぎり、
必要なものはすべて生みだせる」と言っています。
しかし、知恵才覚以上に大切なものが一つの使命感を持つということでした。
使命感を持って仕事をすればもっと大きな見えざる力が働き、
商品やサービスや技術や人生に光り輝くものが生まれるのです。