『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

3月4日 「君に会社をつぶす権利はない」

君に死ぬ権利はない、
僕には君を生かす権利がある。
君に会社をつぶす権利はない。
僕には、社員を幸せにする義務がある。

事業は、絶対に成功しなければならない。
なぜならば、社会のSOSのシグナルを、解決するために
あるのだから―。

幸之助は、いつもこう自分に言い聞かせていました。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

3月3日 「刻々と手を打つ」

幸之助は小さなことまで、やかましく指導していました。
それが、経営の基本だからです。

刻々と手を打つ、刻々と報告を受けて、指示をする。
指示を受けて、手を打って、報告する。
報告を受けて、また指示を出す。

「五つや、六つの手を打ったぐらいで万策尽きたとは言うな。
少々のことで、万策尽きたと思ったらあかん。困っても困らないことや」。
そう言っていました。

倫理ボケ

知覚がにぶること、ぼんやりすること、もうろくすることを「ぼける」と言う。倫理ボケとは、
倫理について知覚がにぶり、ぼんやりした状態にあることで、これは政治、経済、その他についてもひろく言える。
 新聞など、毎日のように倫理という言葉が出てくる。政治倫理、生命倫理、医療倫理、
経済倫理、教育倫理、道義的責任、その他一日のうち、どこかに倫理(道徳、道義)という
言葉の載っていない日はない。しかし、それだけ倫理的になっているか、どうか。
あまり多く使われるので、ボケているのではないか。「またか」というわけで、
新聞に書かれようが、テレビ、ラジオなどでいくら叫ばれようが平気になってしまう。
いわゆる倫理運動をおこなっていると、そして、倫理という言葉がやたらに多いと、
人によってはその言葉になれてしまい、無神経、無感動になったりする。「ああ、また倫理か」
といったような、馬鹿にしたようなぐあいである。まさに「倫理擦れ枯らし」である。
実践はやらないでボケッとしている。だから実践体験も出ない。そして他人の批判ばかりして
いる。自己自身への反省はない。いわゆる〝倫理〟の経歴が古い人ほど、そうしたボケに
なりやすい。
真理をある面において追究するのが学問であるが、学問ボケというのがある。定期的に
学校にゆき、教壇に立ち「学問、学問」と言っていると、いつしか慣れて新鮮味を失い、
追究心がうすらいでゆく。つまり自分の学問にボケが始まったのである。
学問、学問とあまり言わない人の中にも、真の学者がいる。本居宣長、南方熊楠などは
その道の学校すら出ていない。しかし生涯を通じて、学問に打ち込んだのであった。
総じて先生と人からも言われ、自分もそう思っている人は危険である。
教える立場からの反省として見れば、だいたい先生と呼ばれるだけの資格のある人は、
厳密に言うといないのだ。みんな生徒であり、学生なのである。「先生」と呼ばれたら、
内心ふるえがくるようでなくてはいけない。いい気になっていると謙虚さをなくし、先生擦れ、
先生ボケが始まるからである。
前にもどって、生活倫理を学ぼうとし、また学んでいる人は、すぐにこの倫理ボケが始まることを警戒する要がある。新鮮さを感じなくなったとき、感動がうすくなったときが、あぶない。
先輩とか先生と言われだすと、いよいよ危ない。
あの孔子でさえ、孔夫子と呼ばれることを喜ばず、「まだ生(この世)のことさえよく
知らないのに、どうして死のことを知っていようか」と、あくまで謙虚であった。
「論語読みの論語知らず」と言うが、「論語」の内容など、同じところを何度読んでも味わいは
つきないと思う。「論語」を、一回りか二回り走り読みをして、「もうわかった」などと感激を
なくしたときが「論語知らずの論語ボケ」となる。
同じように「『万人幸福の栞』読みの『栞』知らず」で、『栞』ボケの人が、いつでも
増えつつあるのではないか。自分自身の内容をしっかり見つめ直そう。

立ち止まり振り返る契機に

ある地方で五軒のクリーニング店を営むYさんは、子供の頃から、「健康であること」
が何よりの自慢でした。滅多に風邪もひきません。
そんなYさんも、年齢を重ねて、疲れを感じるようになってきました。特別にどこか具合が悪い
という自覚はなかったのですが、妻の勧めもあり、初めて人間ドックを受診することに
なりました。五十五歳の誕生日でした。
〈何か見つかるかな…〉という一抹の不安がよぎったYさん。その予感は的中しました。
胃に、ポリープが三つ見つかったのです。医師からは、「癌の可能性もあるので、念のため切除
して、調べてみましょう」と言われました。
翌週、内視鏡手術でポリープを切除。検査の結果、やはり癌という診断でした。幸い早期に切除
できたため転移はなく、経過観察をすることになりました。
この結果は、Yさんにとってショックでした。健康への自信が、癌という言葉を聞いて、
ガラガラと崩れていったのです。
不安を覚えたYさんは、倫理法人会の講師に、倫理指導を受けることになりました。
じっと話を聞いていた講師は、Yさんにこのように告げました。
「Yさん、モーニングセミナーで読む『万人幸福の栞』には〝病気は生活の赤信号〟
とありますね。いったん立ち止まって、今までの仕事や人間関係、家族のことなど生活全般を
振り返りながら、誤りを正して先に進むことです。何か思い当たることはありますか」
その言葉に、Yさんはハッとしました。これまで健康が自慢でも、健康であることに感謝した
ことはありませんでした。また、仕事仕事でガムシャラに突き進んできたYさんを支え、
食事面でも気を配ってくれていた妻の健康を気遣う余裕もなく、店が忙しいことを理由に、
子供たちを旅行に連れていったことも皆無でした。そして、一所懸命働いてくれている従業員
にも、感謝の言葉一つかけたことがなかったのです。
「どうやら私は、いろいろなことに感謝を忘れていたようです。これでは病気になるのは当たり前ですね。でも、今が良くしていくチャンスなのですね。まず、家族に感謝を伝えることから
始めます」と、実践を誓ったYさん。自宅に戻ると、早速妻に、これまでのお詫びと
、支えてくれたことへのお礼を告げました。子供たちにも「今までありがとう」と伝えました。
皆キョトンとしていましたが、その後の笑顔に、嬉しさが表われているようでした。
それから五年が経過しましたが、再発も転移もなく、医師からは「もう大丈夫でしょう」という
お墨付きをもらいました。今は、健康に育ててくれた両親に感謝し、家族や従業員には、
折々に言葉で感謝を伝えているYさんです。
身に降りかかった苦難には必ず意味があります。〈この苦難は自分に何を教えてくれているのか〉と謙虚に受け止め、実践を通して、より良い人生を過ごすための糧としていきたいものです。

窮地を脱する妙手あり

人生において、大窮地に陥った時の妙手として、倫理運動を創始した丸山敏雄は次のように
述べています。
 事業の上でも経済の上でも、その他奇禍(きか)にあった場合でも、恐れ、憂え、怒り、急ぎ等々の私情雑念をさっぱりと捨てて、運を天に任せる明朗闊達(めいろうかったつ)な心境に
達した時、必ず危難をのがれることが出来る。(『万人幸福の栞』第十二条)
A氏が大病を患ったのは、四十歳を過ぎた頃でした。最初は、階段の昇り降りや坂道を歩く際に
呼吸が苦しくなるのを感じました。しばらく放置していたものの、念のため病院で診てもらうと、即入院となったのです。
病名は「肺動脈血栓塞栓症」。エコノミー症候群の一種で、両肺の血管に血栓が詰まり、
肺の血圧が高まって、呼吸が苦しくなっているということでした。
病院で二週間治療を続けましたが、症状は改善されません。その後さらに検査をすると、特定疾患
にあたる難病であることが判明し、三カ月後、手術をすることが決まりました。医師からは
「症状を改善することと、寿命を伸ばすために手術をします。リスクは高いので、百パーセント
成功するとは限りません」と説明を受けました。
毎日のように検査が続く中、A氏は不安に苛まれ、病院のベッドで自問自答する日々です。
ある時、担当の医師から「時間があれば歩くといいよ」というアドバイスを受け、少しでも不安が
紛れるならと、点滴を付けたまま歩き続けました。
手術を受ける三日前、院内を歩いていると、ふと息子の言葉を思い出したのです。
それは、最初に入院した際、「なぜこの病気になったのだろう」と妻に弱音を吐いた時、
「父さんが、母さんの言うことを聞かなかったからだよ」と言った言葉でした。夫を心配し、
「早く病院へ行って」という妻の言葉を、息子はしっかり聞いていたのです。
 その時は気にもかけていなかったのですが、思い返せばA氏は、妻や息子の言葉を真摯に受
け止めてこなかっただけでなく、周囲の声に耳を傾けていなかった自分に気づかされたのです。
〈元気な頃は「自分が、自分が」という思いが強すぎて、一人ではどうにもできないことまで
抱え込んでいた。そのくせ失敗すると落ち込んでしまい、切り替えができなかった〉と自らを
省みたA氏。〈自分の力ではどうすることもできないのだから、先生にすべてお任せしよう〉と、心が軽くなるような感覚を覚えました。
そして、〈必ず手術は成功する。新しい自分に生まれ変わるんだ!〉という希望が胸の奥底から湧
いてきたのです。
約十一時間に及んだ大手術は、無事成功しました。退院後の経過も順調で、やがて仕事復帰を
果たすことができたのでした。
大病を通じて、自分がいかに多くの人に支えられているかを実感したA氏は今、
相手の話をしっかり受け止めて過ごしています。