木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月28日 「お得意先に教えてもらった」
幸之助は、創業当初、自ら商品を研究・開発し、自ら製造し、自ら
販売にあたっていました。
「木野君、商売とはうまく出来てるで。僕は電気のことはまったく素
人だったので、これ、なんぼで売ったらいいのでしょうか。問屋さん
のご主人や番頭さんに教えてもらって、商売してきたんや。その時、
商売のコツを会得したのは、君、真実を訴えるということやったで」
これが、松下電器の当初の商法でありました。
そして、この真実を訴えるという考え方が、経営の神様を創ったの
です。
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『松下幸之助に学ぶ 指導者の三六五日』
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の三六五日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月27日 「経営のコツ、ここなりと気づいた価値は、百万両」
昭和八年五月、三八歳の時、自主責任の経営を進めるため、
日本で初めての事業部制に踏み切った松下幸之助は、
さらに翌九年の元旦に、従業員への新年のお年玉として、
この言葉を贈りました。
それは、企業経営の根幹は、いつに従業員の創意工夫にあることと、
従業員一人ひとりが経営意識をもって、
仕事に取り組むことの大事さを教えたもので、
永遠に変わらない松下の基本的な考え方の一つとなっています。
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月26日 「絶望という言葉ほど、恐ろしいものはない」
絶望と思った瞬間に、真っ逆さまに奈落の底に落ちて行く。
「君が人生に絶望しても、『人生が君に絶望しない』という格言があるじゃないか」
と、幸之助はいつも私を救ってくれました。
「世の中が君を必要としているのだ」
と、勇気づけてくれました。
この言葉ででれだけ立ちなおったかしれません。
幸之助は絶望を希望に変える達人でした。
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月25日 「限界はない。限界はどこにあるの」
限界は自分だけが決めているもの。
限界は、人間が挑戦するためにあるもの。
限界を破るため、最善を尽くす。そこに、
真の人間の生きがいがあるのです。
その
「最善の上に、最善がある」
というのが、幸之助の信念でした。
それ程、人間は素晴しい存在なのです。
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
1月24日 「幸之助という名前が良かった」
「幸せ、これを助くと言うんやそうや。成功しない訳がないんや」
松下幸之助は、
「わしは、運がいい男で、これまで九割は、運で生き残ってきた」
と、よく言っていました。
自分の名前まで、
「幸せさん、どうぞ助けてください。いう意味で、
父親がつけてくれたと思う」
自分が成功する運命を背負って生まれてきたと、自分に言い聞かせて努力した人でした。