『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

12月14日 「人に光を当てんといかん」

人に光を当てると言うことを、幸之助に言われたとき、まさか
懐中電灯で照らすのかと、若気の至りで思いました。
そうではなく、人間をすべての中心に据えて、ものごとを考え
ろ、という意味でした。

「木野君、あの○○君は今どうしてるんや。人間がおとなしい
から、何か困ってることないやろな?」
幸之助の人間主役の経営を実感した瞬間でした。
心優しい「仁の人」でした。

年の瀬に物の後始末を

早いもので師走も半ばです。職場や家庭で、年末の大掃除を計画している人も多いことでしょう。
今年一年お世話になった「場」の清掃とともに、「物」の後始末も、年末を機に取り組みたいものです。
 情報社会とはいえ、会議資料やノート、領収書など、紙を使う場面は多いでしょう。
廉価な文房具が出回る一方で、机の中に使いかけのボールペンが何本も転がっている人も多いはずです。
また、勤務中に着るユニホームや仕事道具など、職場の周りには、様々な物があふれています。
そうした物の手入れを普段どれくらい行なっているでしょうか。
また、使い古したり、使えなくなった時の後始末は、どのようにしているでしょうか?
 ある職場の同じ部署で働くC君とA子さん。仕事で使う資料や物の扱い方が対照的です。
C君の机の上には、いつも紙の資料が山積みです。どこに何があるのかわかりません。突然提出す
るように指示された資料も、取り出すまでに時間がかかります。
引き出しの中は、いつ買ったのかわからない菓子で溢れています。
机の中に散乱する文房具は、なぜかすぐに使えなくなることが多く、すぐにゴミ箱行きです。
仕事の能力は高いC君ですが、効率の悪いことと、仕事が雑なところから、今ひとつ周囲からの信頼を得られません。
一方、A子さんは、後始末の実践に取り組んでいます。
一日の仕事が終わった後には、その日使った資料を整理します。
パソコンや文房具はホコリや汚れをふき取って、所定の場所に戻します。
心の中で「今日も一日無事に仕事ができました。ありがとうございました」と思いながら、片づけをするようにしています。
 また、家庭でも、使い古した物は、汚れを拭き取ってから捨てるようにしたり、着古した服も、
一度洗濯をした後にリサイクルに出したり、端切れにしたり、処分したりしています。
A子さんの仕事量は以前とは変わらないものの、後始末を実践することで、効率よく、
短時間で仕事を終えられるようになっていきました。〈物が私のことを助けてくれるのかしら〉
と不思議に思いながらも、嬉しいA子さんです。
純粋倫理では、人と人の間に倫理があるように、人と物の間にも倫理があると考えます。
純粋倫理学習の基本テキストである『万人幸福の栞』第十一条では、物の倫理を次のように説いています。
着物も、道具も、機械も、金銭も皆生きている。
大切につかえば、その持ち主のために喜んで働き、粗末にあつかえば、
すねて持主に反抗するだけでなく、時には腹立てて食ってかかる。
 後始末をきちんと行なうことは、まさに物を大切にし、感謝する実践にほかなりません。
会社の備品、自身で購入した物との区別なく、その物によって一年間無事に仕事ができたことに感謝し、
しっかりと後始末をして、今年を締めくくりましょう。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

12月13日 「自分をチェンジするんやで」

幸之助は、私が松下電送の社長時代に、「木野君な、
経営理念に祈って祈って、人ではなく自分をチェンジ
するんやで。チェンジするのは自分の生命や」と、よく
言いきかせてくれました。

自分の生命をチェンジするとは、考え方をチェンジす
ろという意味でした。
そうして、宇宙根源の法則に乗って、勝手に道が開け
てくるのです。今思うと、幸之助は短い言葉で、深い深
い生き方の極意を伝えてくれていたのです。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

12月14日 「雪中の松柏愈々青々たり」① 

天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、
其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓えしめ、其の身を空乏にし、行其の為す所に払乱す。
心を動かし性を忍び、其の能くせざる所を曾益せしむる所以なり。 
 (孟子本文)
余野山獄に在る時、友人※土屋松如、居易堂集<明の遺臣俟斎徐枋の著>を貸し示す。
其の中に「潘生次耕に与ふる書」あり。才を生じ才を成すと云ふことを論ず。
大意謂へらく、天の才を生ずる多けれども、才をなすこと難し。
譬へば春夏の草木花葉鬱蒼たるが如き、是れ才を生ずるなり。
然れども桃李の如きは、秋冬の霜雪に逢ひて皆零落凋傷す。
独り松柏は然らず、雪中の松柏愈々青々たり。是れ才を成すなり。

【訳】

天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、
其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓えしめ、其の身を空乏にし、行其の為す所に払乱す。
心を動かし性を忍び、其の能くせざる所を曾益せしむる所以なり
(天が重要な任務をある人に与えようとする時には、必ずまずその人の心や志を苦しめ、
その体を疲れさせ、その肉体を餓え苦しませ、その衣食を乏しくして困らせ、また、
こうしようという意図とは違うようにするものである。これは、天がその人の心を発憤させ、
性格を辛抱強くして、これまでできなかったこともできるようにしようとするための試練である) 
(孟子本文)
私が野山獄にいる時、友人である土屋松如が、『居易堂集』<明の遺臣俟斎徐枋の著>を貸してくれた。
その中に、「潘生次耕に与ふる書」というものがあった。
それには、才能を生じ、才能をなすということが論じられていた。その大体の意味は、次のようであった。
天が才能を人に与えることは多いが、その才能を自分のものとして、完成させることは難しい。
才能を与えるとは、例えていえば、春や夏に草木の花や葉が青々と盛んに茂るようなもので、
これが桃や李などは、秋や冬の霜や雪にあえば、みな枯れ落ちてしまう。
ただ、松や柏だけはそうでなく、雪の中でも益々青々とそのみどりを保っている。
これが才能を完成させるということである。

※長州藩士佐世氏の家来、土屋矢之助蕭海。松如は字。松陰の友人、同志。生涯松陰を助けた。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

12月13日 「吾が志一たび定まりて」 

吾が志一たび定まりて、沈まず漂はざれば、其れ必ず来り助くる者あらん。而
るを況や吾れ往きて之れを求むる、其れ寧んぞ応ぜざる者あらんや。
人帰して天与す、百人固より以て千万人を得べし、而ち何ぞ難からん。  
安政5年7月11日以後「※杉蔵を送る序」

【訳】

自分の志が一旦決まって、やる気がなくなったり、迷ったりしなければ、必ず助けてくれるものが出てくる。
そうでなくても、自分からそのような同志を求めているのである。
どうして、志に感じて応じてくれないものがあろうか。ありはしない。
人が同志となり、更に、天さえも仲間となってくれる。
百人どころか、千人、万人の同志を得ることさえ可能となる。
どうして、難しいことがあろうか。ありはしない。

※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。