『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

12月10日 「明るい方から見る」

「木野君な、ものごとが起きたとするやろ、起きた事実は
一つや。明るい方から見るか、暗い方から見るかで、180
度ものごとは変るんやで。どっちから見た方が、成功する
と思う」
幸之助はいつも質問をしてきました。
この質問は、鍼灸師宅で、針治療をしながらの時でした。

一つのものごとでも、多面的に見る事が大事だと教えられ
たのです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

12月9日 「世話好きにならんとあかん」

幸之助は、縁と恩を大事にしました。
それだけに人間の心の動きに敏感でした。

「木野君な、自分が成功しようと思うたら、先ず世話好きに
ならんとあかんで。人間は与えたもんしか返ってこんのや」

指導者の条件は、面倒見の良い人になることだと教えられ
ました。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

12月8日 「泥棒も三分の利」

幸之助は叱り方の名人でした。
時には、顔を真っ赤にして烈火の如く叱っていましたが、
人間を叱ったり、ものごとを叱ったりしません。

「君のこのやり方は、松下経営理念に沿ってない。経営
理念に沿って仕事をして、初めて仕事というんや。
君は仕事してへんやないか。」

相手を叱るとき、泥棒も三分の利があると心がけ、心の中
で許しながら叱っていました。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

「時事を見てたまらぬから」 

古より忠臣義士誰れが益の有無、功の有無を謀りて後忠義したか。
時事を見てたまらぬから前後を顧みず忠義をするではなきか。  
安政6年3月16日以後「※入江杉蔵あての書翰」

【訳】

昔から、忠義の武士や節義を堅く守る武士のうち、誰が自分の利益になるか否か、
手柄となるか否かを考えて忠義しただろうか。してはいない。
その時の時勢をみて、たまらないから、後先も考えずに忠義をするではないか。

※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

「御勤政と御講学」

君徳の儀、恐れながら御勤政と御講学の二つに之れある儀と存じ奉り候。  
 安政5年7月10日「急務四条」

【訳】

君主としての立派な徳を身に付けられる方法は、政務と学問にお励みになることの二つであると考えます。