活き活き老人

誰でもすぐ老人になる。六十五歳までは〈あと二、三十年はあるから大丈夫だ〉などと思っていても、
ガヤガヤとやっているうちに、すぐ年寄りになってしまう。歯が、眼が、腰が、肩が……悪くなってくる。
だから、老年を軽視してはいけない。老人とは、若い人の、あなた自身のことなのだ。
では歳をとった当の年寄り自身はどうしたらよいのか。その根本的な心がまえは何か。五つほどあげよう。
(一)、体の具合が悪くなったら、まず〈永い間ごくろうさんでした〉とその箇所に感謝といたわりの念を
もつこと。「ありがとう、あなたのおかげだよ」と、それらの手当をできるだけやって、いたわることである。
(二)、周りの人、世の中のために、できるだけのことをする。そして働くことである。働くとは、何
も体を動かすことだけをいうのではない。じっとして居(お)らざるをえない現状であれば、眼を動かすだけ、声を出すだけでもよい。見たもの、聞いたものを人に伝え、それが何かの役に立てばよいのである。
「今日は雨だってよー」
「明日は風が強いってさー」
それだけでも役立つことがあるのではないか。少なくとも、積極的に何か役に立とう、働こうとする気持ちを
もつだけで若返る。
(三)、(二)をもとにして自分のことはできるだけ自分でする、ということだ。少々歳をとったからと
いって、「できるだけ人にしてもらう」というようなことではますます弱ってくる。
(四)、何かにつけて興味をもち、感動し、趣味をもち、頭を使って工夫する。笑ったり、歌ったり、
仲間づきあいをしたり、ゴミ拾いをしたり、忙しく暮らす。時には腹を立てたり、思っていることをためずに
吐き出したり、悲しい時には泣き、悪口を言いたければ陰にこもらずに、どしどし言ってのける。そうやって
肚の中をいつもカラッポにしておく。そうして「いろいろとあるけれども、あの人は根はいい人なのだ」
と人々から愛され、親しまれることだ。
(五)、最後に死についての勉強をないがしろにしないことだ。人は誰でもいずれは死ぬのであるから、
遠慮したり、いたずらに恐れたり、逃げたりせずに、正面から堂々と死を迎えるのがよい。
日野原重明医学博士は千人以上の患者の死に立ち会ってこられたのだが、死について勉強しようとしている人
ほど、いざという時安心して臨む率が高いようだと述べておられる。
以上は「老いる」に当たっての老人自身の心がまえであるが、ここで老人には老人の活力があることを
強調しておきたい。
何といっても歳をとっているというのは、それだけの経験を積んでいるということだ。その力は何も若者
のような腕力をもてという意味ではない。死は生なりとの意味をこめての活力である。死についても、
また現実の生の経験についても、老人は若者よりも造詣が深いのであるから、それらを若い人たちにPRする
必要がある。何の遠慮もいらない。折につけ、機に臨んで、どしどし教えてやるのがよい。それがまたさらに
活力を増すことにつながるのである。

好きになる努力

何事にも努力は必要です。ただじっとしていては、沸き立つような歓びやワクワクする時間を獲得することは
できません。
人を好きになるのも同様でしょう。「食わず嫌い」という言葉があるように、好きになるにも、相応の努力は
求められるものです。
かつては愛情豊かだった夫婦関係も、年を経るごとに、熱が冷めてしまうことを実感されている方も多い
でしょう。いわゆる倦怠期に陥ってしまった時、どのような智恵に学べばよいのでしょうか。
還暦を過ぎた、あるご婦人のお話です。定年退職を迎え、単身赴任の夫が週末に帰ってくるのを待つ生活が
始まった頃のことでした。婦人は、言いようのない虚しさにとらわれるようになりました。
〈なんとなく結婚し、一所懸命に子育てをして、子供たちは願う通りに成長してくれた。でも今はみな家を
出て、一人ぼっちになってしまった。燃えるような恋愛の末に結ばれたわけではない私にとって、
夫が帰ってきたからといって、ときめきも感じない。無味乾燥のまま、私の人生は
終わりを迎えてしまうのかしら〉
もやもやとした気持ちを抱えながら、婦人は、今後どのように生き甲斐を見つけていけばいいのか、
倫理研究所の講師に相談を持ちかけたのでした。
「離れて暮らすご主人のために、一日の内、どれくらい時間を費やしていますか」という講師からの問いに、
婦人は「まったくありません」と答えました。「では五分でもいいですから、日課として、目の前にご主人が
いらっしゃると思って、尽くす何かを行ないませんか」と講師。婦人は講師とのやり取りの中から、
単身赴任先の夫に、毎日、ハガキを書いて投函することを決めました。何を書いたらよいのか戸惑いましたが、「日常のありきたりのことでいいのですよ」という講師の言葉に、「それならできそうだ」と始めたのでした。
三カ月ほど経った頃でしょうか。一週間ぶりに帰ってくる夫を待ち遠しく思う心の変化に気づきました。
週末が近づくにつれ、そわそわしている自分がいるのです。
そのうち、庭先の駐車場に夫の車の音が聞こえると、外まで出迎えるようになりました。さらに一日一枚の
投函を続けていると、早く戻って来てほしい、顔を見て話したいという気持ちが募りました。
一週間の勤めを終えた夫に、少しでも喜んでもらいたいとの思いから、和装し、薄化粧をして、三つ指を
ついて夫を玄関で迎えた時のことです。目が合った瞬間、二人とも思わず吹き出してしまい、何とも言えない
和やかな空気に包まれたのでした。
 還暦を越え、夫婦二人きりになってから始まった恋愛。相手への真心を眠らせることなく向き合う時、
夫婦としての喜びを更に紡ぎあうことができるはずです。
パートナーが自分をどう思うかを探るよりも、こちらから歩み寄り、近づく努力をすることで、
何歳になっても、良い夫婦関係を築くことは可能でしょう。

夫婦愛和がもたらす潤い

前号の「今週の倫理」では、夫婦間の愛情が身体の健康を作り出すことを述べました。今週も、夫婦と健康に
関する、ある体験を紹介しましょう。
A氏の新婚時代の話です。仕事柄出張が多く、夫婦で過ごす時間は少ないものの、努めて妻と会話を
するようにしていました。
当時A氏には、一つだけ悩みがありました。冬になると、肌がカサカサに乾燥することです。特に両肩の皮膚
がかゆくなり、血が滲むほど掻きむしってしまうのです。
ある時、出張から戻ったA氏に、妻が、「肌着に血が付いていたけど、どうかしたの?」と尋ねました。
A氏は妻に心配かけまいと、その話をしていなかったのです。
肌が乾燥して痒くなることを話すと、病院で診てもらうよう妻に言われました。しかし、病院嫌いのA氏は、「忙しいから」と言ってそのまま放置していたのです。
その後も、ことあるごとに病院へ行くよう妻に言われます。次第にうるさく思うようになり、夫婦の会話自体も、少なくなっていきました。
当時は、仕事上でも多忙な時期にあり、小さなミスが増えていました。そのイライラから、余計に肩を
掻きむしってしまいます。
業務の多忙がピークを迎えた頃、A氏は上司から食事に誘われました。上司は、仕事が忙しくなると、
妻に感謝するよう心がけていると言います。「忙しい時ほど、家庭を顧みないと、良い仕事もできないからね」という言葉は、まるで、今の自分の心境を見透かされているようでした。
帰り道、上司の話を思い出しながら、自らの家庭生活を顧みたA氏。これまで〈家庭のことは妻がやって
当たり前〉という思いでいたため、結婚以来「ありがとう」という感謝の言葉すら口にしていなかったことに
気づいたのです。
妻はそれでも、愚痴一つ言わずに、笑顔で自分を受け止めてくれていました。妻の気持ちを思うと、感謝の
気持ちをしっかり言葉で伝えたいと思ったのです。
帰宅したA氏は、〈今しかない〉と思い、妻に話し始めました。
「今日は上司の話を聞いて、家庭のことを君に押し付けてきたことに気づいた。これまで家庭を守って
くれてありがとう」「いつも話を聞いてくれてありがとう」「もっと君の話を聞くように心がけます。これからもよろしくお願いします」と、三度頭を下げたのです。
頭を上げて妻を見ると、妻はボロボロ涙を流していました。その姿を見た時、〈しまった! 今まで我慢させてきたな〉と痛切な反省がA氏に込み上げてきたのです。そして、自分のすべてを受け止め続けてくれている
妻の愛の深さを知ったのです。
 数日後、肩のかゆみが軽減していることに気づきました。鏡で見ると、きれいに治っていたのです。
A氏は〈女房の涙がきれいにしてくれたのか〉と思わずにいられませんでした。その後、
かゆみが出ることはありませんでした。
夫婦の深い結びつきは、肉体をも潤す力があるのです。

鋭い痛みのメッセージ

K氏はある研修会の講師を務めることになりました。ところがその一週間ほど前から、顔の頬の部分に赤い
ブツブツができはじめました。時間を追うごとにチクチク、ピリピリとした鋭い痛みを感じるようになり、
下を向くたびに、全身に電気が走ったような痛みに襲われました。たまらず皮膚科を受診すると、帯状疱疹で
あるということでした。
医師の説明によると、顔に帯状疱疹が出た場合、失明や脳炎などの重病に至るリスクがあるとのことです。
その場で赤外線による治療を受け、薬をもらって帰宅しました。帰路、〈大変な病気になったものだ〉と、
不安が募ったK氏。一週間後に控えた研修のことも気がかりでした。
K氏は、倫理法人会で純粋倫理を学んでいます。会員は、身の上に生じた苦難や家庭での悩みなどについて
「倫理指導」を受けられることを思い出しました。
「病気は生活の赤信号」と学んでいたこともあり、K氏は講師に指導を受けることにしました。
講師は、症状を詳しく聞いた後、「痛みは、ビリビリ、ピリピリするのですね」と念を押しました。
「はい」と答えると、講師はこう語りかけたのです。
「そのピリピリ、ビリビリしたあなたの痛みは、周りの人の痛みではないでしょうか。特に家庭内において、
奥様をピリピリさせていることはありませんか」
K氏は絶句しました。まさに講師の言う通りだったからです。
K氏の妻は、ある持病から、病院で治療を受けています。妻は、病院での投薬以外に、
〈あれが効くかもしれない〉と思うと、薬局で購入します。そして、何種類もの薬を服用しているのです。
K氏は薬の飲み過ぎによる副作用を案じ、「そんなに薬を飲んでどうするのか! 効くはずがない、
やめなさい!」と強い口調で怒鳴っていたのです。 
そのうちに妻は、夫から叱られるのが嫌で、隠れて薬を飲むようになりました。その他にも、些細な事柄でも
妻を怒鳴ることがあり、夫婦間にピリピリした空気が流れていたのです。
〈ああ、自分は妻を追い込んでいた。この帯状疱疹は、妻の心の内の反映だったのだ〉と、
K氏は深く反省しました。
帰宅したK氏は、「今日、薬は飲んだの? 君が良いと思う薬は、きっと君に効くはずだよ」と妻に言葉を
かけたのです。思いがけない言葉に妻は「飲んでいいの?」と聞き返しました。K氏は薬を飲む水を
渡しながら、妻にうなずきました。
妻に優しい言葉をかけたことに呼応するように、K氏の顔の痛みは、その日を境になくなったのです。
夫婦の会話も以前より弾むようになり、妻もむやみに薬を飲むことはなくなりました。
 純粋倫理では、夫婦の一致和合こそ、すべての幸福のもとであると考えます。K氏は自らの身に起きた
病気を通じて、夫婦間の愛情が身体の健康を作り出していくことを体験したのです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

5月27日 「経営の確信」

幸之助は、大事なことは人に教えを請いつつ、何ものかを悟り
続けるという生き方をしていました。
話すことを3割、聴くことを7割とし、何事にも関心を持って学び
続けたのです。
そして、単に学ぶということではなく、その後は深く深く思索にふけり、
自分の納得のいく答えを探し続けたのです。
すべての経験が教科書であり、すべての人の教えは参考書でした。