見るは知るのはじまり

倫理法人会に入会して活力朝礼を導入した、ある会社での話です。

朝礼の意義をはじめ、進め方や所作のポイントを教わり、役割分担も決まりました。朝礼の研修に参加した社員が、戸惑いながらも、積極的に準備を進める姿にひと安心した社長ですが、初めてのことだけに心配なこともありました。

その一つが、『職場の教養』を読んで、感想を述べることです。

〈感想といわれても、自分だって何を話したらいいのかわからない。社員たちは大丈夫だろうか〉

案の定、最初の朝礼で感想を述べた社員はしどろもどろでした。しかし、社長は、〈初めからできる人などいないのだから、温かく見守ろう〉と心を定め、じっくり取り組むことにしたのです。

一カ月ほど過ぎた頃に、変化の兆しが現われました。感じたこと、気づいたこと、学んだことを、それぞれが自分なりに話せるようになってきたのです。その日の記事のポイントとは違う部分を捉えたりすることもありましたが、それはそれで面白いものでした。

何より社長が嬉しかったのは、感想を聞くたびに、「そんなユニークな発想ができるのか!」「イメージとは違って意外性のある趣味を持っていた」「今、こういうことで壁にぶつかっているのかもしれない」など、これまで気づかなかった社員の一面を発見できたことです。それまでの社員に対する視線が、いかに狭く浅いものだったかを痛感させられました。

経営者とは教育者でもあります。社員一人ひとりの能力を引き出し、育んでいくことが求められます。ですから、まずはその人をよりよく知っていなければなりません。そして、知るための第一歩は見ることに他なりません。

対象をじっと見るのである。そのままに、感情を交えず、あるがままに、虚心に、平静に。(中略)とにかく見る。たびたび見ておると、はじめ変だったものが、次第によくなる。嫌だったものが好きになってくる。見るは、知るの端(はじまり)である。知ることによって、敬が高まり、和が強まり、愛が深まる。

(『作歌の書』丸山敏雄著より)

朝礼を通じて、これまで気づかなかった社員の一面、すなわち新たな可能性を発見した社長は、躊躇なく新たな業務を任せられるようになりました。

経営者には、こうして人を見る目が求められるのはもちろん、様々な物事、時には未来を見通す目が求められます。先の文章のように、見ること、知ることが対象への敬愛をより高め深める、つまり、善悪や美醜といった表面的なことを超越した人間や現象の本質を捉えることにつながる目を養いたいものです。

ガラス玉でも、節穴でもない目を養うのは、純情(すなお)な心に磨きをかけることです。それには、日常の実践です。気づいたらすぐする、何事も喜んで受けるなど、これまで行なってきた実践を今一度見直し、経営者の目を養っていこうではありませんか。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

8月22日 「積み重ねが大事」

すべての結果は一つひとつの積み重ねで決まります。
表面的な結果も大切ですが、成果を大事にすると同時に、
その積み重ねの過程が最も大切なのです。

事業は、目的を果たすこと、結果を出すことを重視しますが、
それ以上に、どのような理念で、どのようにやるのかの
プロセスがもっとも重要です。
それを間違えると結果は正反対になります。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

8月21日 「許されない」

「企業が天下の人・モノ・土地・金を使いながら、社会に何のプラスも
もたらさないのは許されない」

いつも幸之助は松下の基本理念として、こう言い続けてきました。

「本当の経営は、世のため、人のために行うのだから」

幸之助は、私企業といえども、人もモノも、金も、皆、公のものととらえています。
公のものを使って、赤字を出し、公に奉仕出来ないのは、罪悪だと強く戒めていました。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り越えるか―

8月20日 「商品がどのように使われているか」

自分たちが、苦心して生産した商品が、世間でどのように
使われているか、もっともっと詳しく知ることが、経営の第
一歩だと、幸之助は強い関心を払っていました。
「商品はかけがえのない子供のようなもの」
世間ではどのように役立っているのか、どう評価されてい
るのか。
そこに、商売のすべてが結集されているのです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

8月19日 「社会のため、人々のために」

「社会のため、人々のために、奉仕・貢献するのでなければ、
事業を大きくする必要はない」
というのが幸之助の哲学です。

事業は何のために行うのかという、基本を明らかにすることから、
すべてが始まるのです。
幸之助は、「社会のSOSを解決することが、事業を起こす目的だ」と、
信じていました。