家庭教育/安岡正篤一日一言0506
いままで学校教育こそが教育だと思っておったが、しかしこのごろはヨーロッパでもアメリカでも、教育は学校がやると思つているのはよほど後れた人間でありまして、あらゆる教育家・教育学者は「教育はやっぱり家庭教育である。
学校教育は家庭教育でできたものを受け取って、これに手入れをするところだ」
と考えている。…
日本のように、教育と言えば、子供をどんな手段を使っても学校へ入れるんだと考えているのは、文明国ではよほど後れておる。
家庭教育/安岡正篤一日一言0506
いままで学校教育こそが教育だと思っておったが、しかしこのごろはヨーロッパでもアメリカでも、教育は学校がやると思つているのはよほど後れた人間でありまして、あらゆる教育家・教育学者は「教育はやっぱり家庭教育である。
学校教育は家庭教育でできたものを受け取って、これに手入れをするところだ」
と考えている。…
日本のように、教育と言えば、子供をどんな手段を使っても学校へ入れるんだと考えているのは、文明国ではよほど後れておる。
5月6日 「志を持って行動せよ」
志とは心が向かうという意味です。
幸之助は、絶えず世の中の平安や繁栄を創りたいという志を
持っていました。志を立て、行動することで色々なことを成し遂
げていったのです。
人に尽くしてこそ、生きがいが生まれます。
生きがいは、一人では創れないのです。
指導者は世の中の役に立つという志を切に持つことが大切です。
父母憲章/安岡正篤一日一言0505
一、父母はその子供のおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。
二、家庭は人間教育の素地である。子供の正しい徳性とよい習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。
三、父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師・良き友を択んで、これに就けることを心掛けねばならぬ。…
四、父母は随時祖宗の祭を行い、子供に永遠の生命に参ずることを知らせる心掛けが大切である。
五、父母は物質的・功利的な欲望や成功の話に過度の関心を示さず、親戚交友の陰口を慎み、淡々として、専ら平和と勤勉の家風を作らねばならぬ。
六、父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発することに努めねばならぬ。
七、人生万事、喜怒哀楽の中に存する。父母は常に家庭に在って最も感情の陶冶(とうや)を重んぜねばならぬ。
木野親之 著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
5月5日 「道は無限にある」
「木野君、人間には自分でも気づかない道が無限にあるんだよ。
それを制限しているのも自分自身なんだ」と、繰り返し教えられた
ものです。
松下経営理念に目覚め、経営理念に祈って祈って祈り抜いた時、
その道が姿を現してくるのだと信じています。
道は無限にあるということを発見した幸之助の考えこそ、自身を
失った今の指導者に伝えたいものです。
気の帥/安岡正篤一日一言0504
志は精神の大統力である。
すなわちこれを「気の帥」という。
これ人の命であり、木の根であり、水の源である。…
もし志が立たねば精神は活動しない。