木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
8月26日 「気を引き締めよ」
どんなにすぐれたものでも、気のゆるみが大きな事故に
つながります。
大河の流れも一滴の水が漏れることで大きな洪水の
原因になります。
失敗を素直に認め反省し改めることが大切です。
「人は過ちを起こすもの」と幸之助は考えていました。
だから、少しでも早くそれに気づき、素直に反省して、
すぐ手を打つことの重要性を厳しく教えていました。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
8月26日 「気を引き締めよ」
どんなにすぐれたものでも、気のゆるみが大きな事故に
つながります。
大河の流れも一滴の水が漏れることで大きな洪水の
原因になります。
失敗を素直に認め反省し改めることが大切です。
「人は過ちを起こすもの」と幸之助は考えていました。
だから、少しでも早くそれに気づき、素直に反省して、
すぐ手を打つことの重要性を厳しく教えていました。
木野 親之 著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
8月25日 「チームワークを大切に」
事業は一人では出来ない。
一人ひとりの実力を高め、同時にチームワークを大切にして
こそ、人も会社も新たに発展するものです。
幸之助は、組織運営の基本に、パートナーシップを大切に
していました。
同一基盤の上での、役割分担の違いという考えを持って、ヨコ・
タテをなによりも大切にしていました。
木野 親之 著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
8月24日 「必要な存在」
すべての人々が必要な存在です。
すべての人々は皆そのことを信じ、考え、実践し生きていけば、
誰もが幸せになるのです、誰もが幸せになれるのです。
「必要でない人間は一人もいない」と、幸之助は信じていました。
「熱意さえあれば誰でも指導者になれるのです」と、幸之助は
大胆な人事登用をしていました。
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り越えるか―
8月23日 「叱ることほめること」
幸之助は人を認め、ほめることを大切にしました。
反面、深い愛情をもって厳しく叱ることもありました。
叱られもしないと知らず知らずのうちに、見方が甘く
なり、弱さともろさが生まれてきます。
叱られるより、ほめてほしいと思うのが人間です。
しかし、経営ではそれだけでは許されません。
叱られることを嬉しく思って、学び続けることが、生き
た経営です。
倫理法人会に入会して活力朝礼を導入した、ある会社での話です。
朝礼の意義をはじめ、進め方や所作のポイントを教わり、役割分担も決まりました。朝礼の研修に参加した社員が、戸惑いながらも、積極的に準備を進める姿にひと安心した社長ですが、初めてのことだけに心配なこともありました。
その一つが、『職場の教養』を読んで、感想を述べることです。
〈感想といわれても、自分だって何を話したらいいのかわからない。社員たちは大丈夫だろうか〉
案の定、最初の朝礼で感想を述べた社員はしどろもどろでした。しかし、社長は、〈初めからできる人などいないのだから、温かく見守ろう〉と心を定め、じっくり取り組むことにしたのです。
一カ月ほど過ぎた頃に、変化の兆しが現われました。感じたこと、気づいたこと、学んだことを、それぞれが自分なりに話せるようになってきたのです。その日の記事のポイントとは違う部分を捉えたりすることもありましたが、それはそれで面白いものでした。
何より社長が嬉しかったのは、感想を聞くたびに、「そんなユニークな発想ができるのか!」「イメージとは違って意外性のある趣味を持っていた」「今、こういうことで壁にぶつかっているのかもしれない」など、これまで気づかなかった社員の一面を発見できたことです。それまでの社員に対する視線が、いかに狭く浅いものだったかを痛感させられました。
経営者とは教育者でもあります。社員一人ひとりの能力を引き出し、育んでいくことが求められます。ですから、まずはその人をよりよく知っていなければなりません。そして、知るための第一歩は見ることに他なりません。
対象をじっと見るのである。そのままに、感情を交えず、あるがままに、虚心に、平静に。(中略)とにかく見る。たびたび見ておると、はじめ変だったものが、次第によくなる。嫌だったものが好きになってくる。見るは、知るの端(はじまり)である。知ることによって、敬が高まり、和が強まり、愛が深まる。
(『作歌の書』丸山敏雄著より)
朝礼を通じて、これまで気づかなかった社員の一面、すなわち新たな可能性を発見した社長は、躊躇なく新たな業務を任せられるようになりました。
経営者には、こうして人を見る目が求められるのはもちろん、様々な物事、時には未来を見通す目が求められます。先の文章のように、見ること、知ることが対象への敬愛をより高め深める、つまり、善悪や美醜といった表面的なことを超越した人間や現象の本質を捉えることにつながる目を養いたいものです。
ガラス玉でも、節穴でもない目を養うのは、純情(すなお)な心に磨きをかけることです。それには、日常の実践です。気づいたらすぐする、何事も喜んで受けるなど、これまで行なってきた実践を今一度見直し、経営者の目を養っていこうではありませんか。