老舗の先見に学ぶ

日本には、創業百年を越える老舗企業が多く存在します。
その数は、世界の国々と比べても、特に多いと言われています。
老舗企業の中には、創業当時から変わらない業態を守り続ける企業もあれば、時代に合わせて変化を続けてきた企業もあります。
こうした、長く時代を生き抜いてきた老舗企業の歩みから、先を見る目を養うヒントが学べるのではないでしょうか。
香川県に所在する勇心酒造株式会社の創業は、一八五四年(安政元年)です。創業百六十余年の現在の当主は五代目の徳山孝氏です。
社名から見てもわかるように、元は造り酒屋でした。現在は売上三十一億円のうち、清酒の占める割合は一%未満だといいます。
大部分を占めるのが、米から生まれた「ライスパワーエキス」を使用した化粧品です。
徳山氏が代を継いだ頃、すでに清酒業は斜陽産業となっており、同業他社の倒産が相次いでいました。
そこで氏は、日本酒だけではなく、培ってきた醸造・発酵技術を元に、新たな商品開発に乗り出したのです。
造り酒屋が酒を造らず研究に没頭する姿に、「宇宙人」と蔑まれたこともあったそうです。資金難から自宅以外の土地も手放しました。
それでも西洋型の遺伝子組み換えではなく、「日本型バイオ」という自然界にあるものを活かす製法を重視し、試行錯誤を続けた結果、
「ライスパワーエキス」の誕生に至ったのです。エキスを元にしたヒット商品も生まれました。
このように勇心酒造が業界全体の低迷から脱し、発展を遂げた背景には、徳山氏のぶれない哲学がありました。
それは、「生かされている」という考え方です。
氏は次のように語ります。「東洋には自然に『生かされている』という思想があります。
私なんか多くの微生物に助けてもらってきたわけで、まさに『生かされている』と思います。
(中略)私は、『生かされている』という発想を基本に置いて、東洋と西洋のいいところを採って合一させ、次の時代を創ってゆきたい」
日本人は昔から、自然の恵みに「生かされている」という考え方を大切にしてきました。
日本酒造りにおいても、もともと自然界に存在する麹菌や酵母、乳酸菌の働きが欠かせません。
日本文化の源泉ともいえる米の価値を最大限に活かし、微生物を活かす醸造発酵技術に向き合ってきた氏だからこそ、
辿りついた信念だったのでしょう。
徳山氏の商品開発には、この「生かされている」ことへの感謝が根底にあったはずです。
その、ぶれない思いは、やがて企業全体の発展へと結実しました。
感謝の念、それは先を見る上で重要な心の姿勢です。
「あらゆる恩恵の中で生かされている自分であり、会社である」というスタンスに立って、
自社の将来をイメージする時、生き残りのためのヒントがきっと見えてくるはずです。

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神様から、宇宙から、両親から頂いたこの命に感謝です。
この命を大事に生きていきます。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

1月9日 「本当に偉い人とは」

幸之助は、「本当に偉い人とは、部下が自分より偉く見える人だと思う」
と言いました。
そして、「部下を尊敬出来る人は、もっと偉い人やで、木野君、
覚えておきや」と。
その時、初めて人が人を信用し、人に生まれ来た喜びを実感
するものです。
美しき人間の心の絆は永遠に光る、と幸之助は、王道の経営を
教えてくれました。

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人々の長所を見出し尊敬できるようになります。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

1月9日 「父母を不是と思はぬ」 

「天下に不是の父母なし」と云ふ如く、人子の心にては毫末も父母を不是と思はぬこそ孝と云ふべし。 
 安政2年9月7日「講孟劄記」

【訳】

「世の中に正しくない父母はいない」
というように、人の子の心においては、ほんの少しでも父母を正しくない、と考えないことこそ孝行というべきである。

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両親のお蔭で今の自分がいます。
両親が子供にすることは良かれと思っての事。
全て正しいです。

人生の岐路に指す一手

私たちの人生には様々な紆余曲折があります。上昇気流に乗って商売がうまくいく時期。
業績が悪化して、資金繰りに苦しむ時期。思いがけない逆境に直面して、生きるか死ぬかの経験をする時期があるかもしれません。
誰しも、一生のうちに一度や二度は乗り越えなければならない逆境に遭遇するでしょう。
それを乗り越えられるかどうかの分岐点は、自らの「心」が密接に関係しているというのが、私たちの学ぶ純粋倫理の特徴の一つです。
大なり小なり逆境に直面した時、「困った」とか「苦しい」と言う人がいます。「困」という字は「生命が囲われている状態」、
「苦」には「生命が枯渇している状態」という意味があります。二つの字には、自分の生命を縮める、
自分の能力に自分で限界点をつくる、自分で成長を止めてしまう…などの意味が隠されているのです。
将棋界の歴史に名を残す棋士故・升田幸三名人は、大正七年に広島県で生まれました。

幼少の頃はやんちゃで、神社のご神体に小便をかけたり、貧乏を馬鹿にされ、近所の女の子を日本刀で切りつけたりしたこともありました。
半面、将棋の腕は抜群で、近郷近在、升田少年にかなう者は誰もいませんでした。
ある日「棋士になりたい」と母に伝えると猛反対されましたが、自分の決めた道に進みたいという強い思いから、
母の物差しの裏に「この幸三、名人に香車をひいて勝ったら大阪に行く」と書き置きして十四歳で家出。
木見金治郎名人の門下生になりました。
昭和二十七年の第一期王将戦にて木村義雄名人を降して王将位を獲得。
昭和三十一年の第五期王将戦では、大山康晴名人を相手に「名人に香車を引いて勝つ」という、空前絶後の記録を達成。
十四歳からの夢を実現させたのです。
なぜに氏は、自らに課した試練を乗り越え、前人未到の偉業を成し遂げることができたのでしょうか。
それは、常に自分を向上させる自己暗示をかけていたからだと、自著の中で語っています。
「私は自己暗示というのは、人生にとって非常にだいじなことだと思っている。
(中略)不成功に終わる人というのは、自己に無意識のうちに自信喪失させるような暗示をかけている。
おれはもうダメだとか、終わりだとか、始終ボヤいたりして、自分を奈落の底に落ちこませるような自己暗示をね。
逆に、伸びる人というのは、いつも自分を向上させるような暗示をかけてますよ。ここに、わたしゃ分かれ道があると思う。
同じことでも、自信をつけるのと奈落の底へ落ちるように仕向けてるのとでは、これ、天地の差がありますよ」
(升田幸三『勝負』成甲書房)
 どの世界でも、一流や超一流と言われて成功している人に共通している資質の一つに「プラス思考」が挙げられます。
私たちも、いい言葉やプラスの言葉で自らの心に暗示をかけてみましょう。
そして、どのような逆境でも乗り越えていくという不退転の決意で突き進む時に、順境という明るい道は拓けてくるのです。

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自分の経験で、窮地に立った時に覚悟を決めた時に好転した事は度々ありました。
そして自分を信じる事ですね。

スランプを抜け出すには

自分を成長させたい、何とかこの問題をクリアしたい…と望んでも、それが簡単に解決されることは稀でしょう。
好結果に至るまでの道のりは、なかなか厳しいものです。
 今週は、二月に開催された冬季ソチ五輪で、男子シングル・フィギュアスケート選手の一人として活躍した、
町田樹選手のエピソードを紹介しましょう。
 町田選手がフィギュアスケートと出合ったのは三歳の頃です。家
族に励まされながらトレーニングを続けますが、特に熱心に応援してくれたのは母の弥生さんでした。
母子での早朝ランニングを日課とし、遠征中や合宿中も毎日会話をして、弱音を受け止める相手になってくれました。
用具代や遠征費がかさんだ時は、昼と深夜に飲食店で働くなどして、やりくりをしてくれました。
 運動能力に恵まれていたわけでもなく、スポンサーやマネジメント会社のサポートもない中で、
町田選手は、オリンピック出場の夢に向かってひたすら努力を続けました。
家族の温かな支えもあって、メキメキと実力を上げ、やがて国際大会にも出場するまでにレベルアップしていきました。
2012年のグランプリシリーズ中国大会で優勝。その後のグランプリファイナルにも出場しますが、成績はまさかの最下位でした。
直後の全日本選手権でも9位と惨敗し、ソチ五輪を前に、精神的にひどく落ち込みます。
 スランプに陥った町田選手を、ある日、母親の弥生さんは「自分自身を変えないと一生勝てないよ」と叱り飛ばしました。
母の厳しい一言と、そこに込められた深い慈愛にハッとさせられ、町田選手は奮起します。
気合を入れるため髪を丸刈りにして、坊主頭の写真と共に、「試合期間中は電話してこないで」と母に決意を伝えました。
弥生さんは、そのメールから「何としても五輪に行く」という強い決意を感じたといいます。
さらに、毎日の練習時間を自主的に一~二時間延長して、再起にかけたのです。
 その後の試合では「自信を持って演じられるようになった」とコーチからも評価され、
ついに二十年間憧れていたオリンピックの舞台へ立つことになったのでした。

 困難に直面した時、「困った、困った」と愚痴を言い、弱音に終始していては、気持ちは萎縮するばかりです。
状況を打開するのは、「やってやるぞ」「この苦しさを機会に自分を磨くぞ!」という前向きな心境と、
「成功するまでやり続ける」という継続力でしょう。
 倫理研究所を創立した丸山敏雄は、青年に向けた書の中で、
「心境は、苦難あるごとに開け、障害にあうたびに成長する」(『青春の倫理』)と喝破しています。
困難な問題に果敢に挑戦する時、積極心は倍増され、知恵や才覚が湧き出てくるものです。
苦難の中でこそ自分が磨かれると知り、今直面していることから逃れずに、一歩ずつ前進していきましょう。

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苦難は幸福の門
スランプ・困難を乗り越え成長します。