木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
12月16日 「見通していた創業者」
時代が激変しています。そしてそのスピードの速さは我々の想像
をはるかに超えています。
ある日、幸之助が「木野君な、21世紀になったら松下という名前
がなくなるかも知れんで。しかし松下経営理念は不滅や」と、言っ
たことがありました。
現在、パナソニックと社名変更されていますが、幸之助は時代を
鋭く読む力をもっていました。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
12月16日 「見通していた創業者」
時代が激変しています。そしてそのスピードの速さは我々の想像
をはるかに超えています。
ある日、幸之助が「木野君な、21世紀になったら松下という名前
がなくなるかも知れんで。しかし松下経営理念は不滅や」と、言っ
たことがありました。
現在、パナソニックと社名変更されていますが、幸之助は時代を
鋭く読む力をもっていました。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
12月16日 「畏るべきかな書や」
読書最も能く人を移す。畏るべきかな書や。
安政6年4月14日「※野村和作あての書翰」
【訳】
読書というものは、最もよく人の心をかえるものである。書というものは、何と恐るべきものだな。
※野村和作。入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟。後の子爵野村靖。
川口雅昭氏編 致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―
12月15日 「雪中の松柏愈々青々たり」②
人才も亦然り。少年軽鋭、鬱蒼喜ぶべき者甚だ衆し。然れども艱難辛苦を経るに従ひ、
英気頽敗して一俗物となる者少なからず。唯だ真の志士は此の処に於て愈々激昂して、
遂に才を成すなり。故に霜雪は桃李の凋む所以なり。艱苦は軽鋭の頽るる所以、
即ち志士の激する所以なりとあり。大意斯くの如し。今吾れ不才と云へども象
山の徒として、亦徐氏の文を読む。豈に桃李に伍して松柏に咲はれんや。
当に琢磨啐励して連城・干将となるべきのみ。
安政3年4月15日「講孟剳記」
【訳】
人間の才能もまた同じことである。少年の中には、すばしっこくて強く、気も満ちており、
喜ぶべきものは大変多い。しかしながら、辛いことや困難なことを経験するにつれ、
そのようなすばらしさがなくなってしまい、全くだめな人間になってしまうのも少なくない。
ただ、本当に大きな志をもっている人は、このような状態になったら、
ますます気持ちを奮い立たせ、ついにはもって生まれた才能を完成させるのである。
とすれば、霜雪は桃李が枯れる原因であり、また、松柏が完成する原因である。
また、艱苦は人の鋭い気性がだめにある原因であり、同時に志のある人が激しく奮い立つ原因なのである、と。
全文を覚えているわけではないが、大体の意味は以上のようであった。
今、私は才能のないものではあるが、佐久間象山先生の教えをいただいたものであり、また、徐氏の文章を読むものである。
どうして、桃李などの仲間になって、松柏に笑われてよかろうか。そんなことではいけない。
まさに我が身を磨き、鍛え上げて、名玉の「連城」や名剣である「干将」のようにならねばならない。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り越えるか―
12月15日 「変革する」
幸之助は絶えず変革を続けた人でした。お金があっても、
商売がどんなに繁盛しても、変革の手を緩めることはあり
ませんでした。
ある日、「木野君な、変えようとすると何でもスムーズにい
かん。必ずゴタゴタが起きる。ほとんどの人が穏便に変革
しようとするけど、問題を起こすために変革を打ち出すんや
で」と、言われました。
何事も覚悟無くしては成就しないのです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
12月14日 「人に光を当てんといかん」
人に光を当てると言うことを、幸之助に言われたとき、まさか
懐中電灯で照らすのかと、若気の至りで思いました。
そうではなく、人間をすべての中心に据えて、ものごとを考え
ろ、という意味でした。
「木野君、あの○○君は今どうしてるんや。人間がおとなしい
から、何か困ってることないやろな?」
幸之助の人間主役の経営を実感した瞬間でした。
心優しい「仁の人」でした。