変化対応の鍵はどこに?

近年の再生可能エネルギーへ
の関心と相まって、技術革新による世の中の変化がいっそう加速しています。
自動車業界では、ハイブリッドカーや電気自動車の普及が進み、
リッター三十キロを越えて走る低燃費の車が次々と登場しました。
エネルギーの分野では、シェール層から抽出する石油や天然ガス(シェールガス)が注目を集めています。
また、ミドリムシからオイルを生産するバイオ燃料の研究や、
微生物が有機物を分解する際に電気を生み出す原理を利用した「微生物燃料電池」の開発も進んでいます。
こうした社会の構造を変えるような技術革新や景気変動の波は、一定の周期で起きると、様々な経済学者が唱えています。

「世はまさに波動である、リズムである」。これは倫理運動の創始者・丸山敏雄の言葉です。
さっと来て去る波、遅い波と、その波長に長短はあるものの、行きつ戻りつ、
浮びつ沈みつゴールに入る。これが人生である、と著書の中で述べています(『純粋倫理原論』)。
世の中の動きすべてに、リズムがあるとすれば、変化に対応して、うまく時代の波に乗るには何が必要なのでしょうか。
 近江屋ロープ株式会社という会社があります。
創業は一八〇五年。網づくりを本業とし、明治以降は、林業や農業、鉱山の現場で使用する麻や綿の販売で栄えました。
戦後はビニールやナイロン製のロープの卸売り専門会社となり、成長を続けます。
しかし、林業の衰退やバブル崩壊後の公共事業の減少に伴って、やがて経営危機に陥ってしまいます。
この時、社員の提案から起死回生の一手が生まれました。
山が荒れ、急増したイノシシやシカから農産物の被害を防ぐため、害獣の侵入を防ぐネットの製造に乗り出したのです。
需要は思いのほか多く、特に、イノシシの侵入を防ぐネット「イノシッシ」は、ネーミングのインパクトもあり大ヒット。
会社は息を吹き返したのです。
時代の変化に対応して経営悪化からの回復を成し遂げたのですが、
その背景には、これまでの蓄積がありました。
ロープに関するノウハウ、山や森との関わりという自社の強みがあったからこそ、
時代の変化に対応できたのです。新たなビジネスも、本業のレールの延長線上にあったのです。
時代の変化に対応するために、過去のプライドや成功体験を捨てて臨むのは大切でしょう。
その一方で、捨ててはならないものがあります
。それは、何の会社なのかという企業の「本(もと)」、
本業であるコアの部分です。根無し草では、波に翻弄されて溺れてしまうでしょう。
変わらないわが社の「本」を見つめ、そこで働く人の心と、企業の「本」がしっかりつながること。
これが時代の波に対応するための秘訣ではないでしょうか。

自社の本を見つめ、時代の変化に対応していきます。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

「指導者は決断する」

「君、それは自分で決断せんとあかんな」
私が助言を求めに行った時に、幸之助に言われた言葉です。
指導者たるもの人に助言を求めることも大切だが、
決断は自分でしなければならないと教わりました。
決断は指導者の一番大事な仕事です。
決断を経営理念に照らして行えば、成功することは間違いありません。
経営理念が熟慮の基(もと)となり、断行の勇気となるのです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

「もっとも大切なのは」

「社会人にとって、もっとも大切なのは、なすべきことを誠実に努力して、
実行していくことに尽きる」と、幸之助から教えられました。

幸之助の人生は誠実と信念によって貫かれていたといってよいでしょう。

一度たりとも「ためらう姿」「とまどう姿」「ゆらぐ姿」を見たことがありません。

なすべきことを忠実に毎日実行したのが幸之助です。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版

『吉田松陰一日一言』

―魂を鼓舞する感奮語録―

「家の本は身に在り」

人情は愚を貴ぶ。益々愚にして益々至れるなり。 安政2年8月16日「講孟劄記」

【訳】

人情は愚直であることを大切にする。愚直であればあるほど、人情は切実となる。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版

『吉田松陰一日一言』

―魂を鼓舞する感奮語録―

「真骨頭なくては」

※1龔勝・范文粲 餓死と黙死と、天下の苦節と云ふべし。此くの如きの真骨頭なくては、男児と称するに足らず。 安政6年5月22日「照顔録」

【訳】

龔勝の餓死といい、范文粲の黙死といい、苦しみの中にあっても節操を変えない、あっぱれな生き方というべきである。このような、真骨頂するのがなくては、男
児と称するにはたりない。

※1 中国、漢の彭城の人。新の王莽に招かれたが、二君に仕えることを恥じ、絶食して死んだ。

※2 中国 晋の人。上司と意見を異にし、門を閉じ、沈黙を守って死んだ。