『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

7月31日 「先のことは誰にもわからない」

先のことは誰にもわからない。

幸之助は、「どうすれば、うまくいくか。あれこれ、思い巡らすこ とも大切だが、

ある程度考えた後は、実際に行動に移してみることがより大切だ」と教えてくれました。

そこから、思いもよらなかった道が開かれてくることが多いのです。

自分の心と向き合うことが大切なのです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

7月30日 「問題が起こってからでは遅い」

「問題が起こってからでは遅い、起こる前に原因を察知して、
手を打ち、問題を起こさぬようにしないと、経営者として落第
だ」と幸之助は厳しく教えていました。

自得する心構えなしに、本当のプロは生まれないのです。
自得の精神あってこそ、知識も人の教えも生きて来るのです

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

7月29日 「競争はものを生む母である」

幸之助は「競争は新しいものを生み出す源である」と教
えてくれました。
インターフォンの販売で私が苦しんでいる時の言葉です。

競争はその人の潜在能力を引き出し知恵を生み出す、
競争に勝利する法則を伝えたかったのです。
成功するまで続けたならば、失敗というものはない。
成功あるのみです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

7月27日 「出来ないという考えを捨てること」

幸之助は可能思考能力の天才でした。絶えず、出来る思考で
すべてのものごとを見て、出来ないという考えをしませんでした。
いつもゼロからの素直な気持ちで取り組み、無から有を生み
出していました。

「どんなに困っても、困ったらあかん」と決意し、今日の難しい
時代に第一歩を踏み出したのです。
そこに、道が開かれるのです。

世の中には善人もたくさんいるが、悪人もかなりいる。悪人がいなかったら、どんなによい世の中だろう。神さまはなぜ悪をつくったのか。いったい、いつになったら、この世から悪人はいなくなるのだろうか。

こうした考えはまちがいである。なぜならこれは、皆美人だったらよい。おいしいものばかりだったらよい。いつも晴の日ばかりだったらよい、などと同じだからである。

悪いことをしてもよい、などと決していうのではない。法を犯してはならないし、犯せば罰せられるのは当然である。しかしよくよく考えてみると、悪人があるからこそ、善人があり、悪が存在すればこそ、善も存在する。ここをもっと掘りこんでみよう。いったい悪人は善人にとって何なのか。

賄賂をたくみにやり、税金をごまかし、法網をうまくくぐって私服をこやしている悪人がいる。この事実に対し、憎悪や軽蔑や公憤をぶちまける。そして攻撃する。当然のことだ。しかしさらに深く、また高い立場から見るとどうなるか。こうした悪人は、一般の人々に対する教師なのだ。贈収賄のよくないこと、税金をごまかすことの誤り、法網をくぐってはならないことなどをいろいろと教えているのである。

一般に泥棒は「泥棒すべからず」と教える大先生である。もともとすべてはわが師であるから悪人といえどもわが師であって、自ら手本となり、このような悪をなすべからずと教え導いてくれる大恩人なのである。

本当は私たちは刑務所に対して頭をさげるべきなのだ。犯罪者に対して襟を正して敬礼すべきなのである。

あんな奴、バカヤロウなどと軽蔑したり、憎悪したりするのは、まさに本末転倒である。このように、いわゆる悪人を軽蔑し憎悪する時、善人とうぬぼれている人は、たちまち悪人となるのである。

「そのようなことをいっても、実際となると、ああした人たちを恩人とか、教師とか、まして大先生などとは、とうてい思えない」という人がある。なるほど、それはたしかにあるだろう。

 

それだからといって真理や倫理を曲げるわけにもいかない。それはあたかも自動車などのスピード制限が、実際にはなかなか守りにくいからといって、交通規則を曲げるわけにはゆかないのと似ている。天地がひっくり返っても、真理は変わらないし、倫理はゆがめられない。

このように人間存在の実相を高く、深く洞察してゆくと、超越的な意味では、すべてが善となり、いわゆる善悪とは一般的なものにすぎなくなる。演劇、映画などで、悪役がなければおもしろ味がなくなるように、人生に悪人がいなかったら、善の善たる意義も成り立ちえないであろうから、その意味では悪人も善人である。すべてがよしとなる。

繰り返して言うように、いわゆる悪は為すべきではない。ただその認識の仕方が、わが人生を味わい深い豊かなものにするか、あるいは砂を噛むような無味乾燥なものにするかの分かれ目となる。家庭や社会にある善と悪とのさまざまな問題に対し、こうした自覚を高め、深めてゆこうではないか。 (『丸山竹秋選集』より)