『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

11月7日 「涵育薫陶して其の自ら化するを俟つ」 

養の一字最も心を付けて看るべし。註に、養とは涵育薫陶して其の自ら化するを俟つを謂ふなりと云ふ。
涵はひたすなり、綿を水にてひたす意なり。育は小児を乳にてそだつる意なり。
薫は香をふすべ込むなり。陶は土器を灶にて焼き堅むるなり。
人を養ふも此の四つの者の如くにて、不中不才の人を縄にて縛り杖にて策うち、
一朝一夕に中ならしめ才ならしめんとには非ず。
仁義道徳の中に沐浴させて、覚えず知らず善に移り悪に遠ざかり、旧染の汙自ら化するを待つことなり。
是れ人の父兄たる道にして、父兄のみにあらず、人の上となりて政を施すも、
人の師となりて教えを施すも、一の養の字を深く味ふべし。   安政2年11月11日「講孟剳記」

【訳】

「養」の一字に最も心をつけて、みるべきである。
(※朱子の)註に、「養とは涵育薫陶して其の自ら化するを俟つを謂ふなり」といっている
。涵はひたすことである。綿を水でひたすという意味である。育は小児を乳で育てるという意味である。
薫は香を炊き込めることである。陶は土器をかまどで焼き固めることである。
人を育てる場合にも、この四つのように、自然に行うべきである。
中庸の徳のない人、才能のない人を、縄で縛り上げ、杖で打ち、わずかの間に中庸の徳をつけ、
才能のある人物にしようとするものではない。そういう人々を、
仁義道徳の中にひたして、自らは気づかず、知らない内に、善に移り、悪から遠ざけ、
もとから染みついていた悪い汚れが、自然に善に変わっていくのをまつべきである。
これは人の父兄だけではなく、人の上に立って政治を執る上でも、また、人の先生となって、教える場合でも、
「養」という一字を深く味わうべきである。

※1130~1200 中国宋代の儒教者。朱子学の創始者

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

11月6日 「自分の枠を外す」

幸之助をはじめ、多くの成功している人に共通するのは、
難局に出会ったり壁にぶつかったりした時、自分の常識
つまり自分の考え方の枠を外して、新発見したり解決したり
しているということです。
考え方や心を窮屈にしてはいけません。
どんな時にも一度自分を離れて見つめ直してみることです。
信念を持つこと、自分の枠を外すこと。
この二つは矛盾しているようで真理なのです。

苦難福門ですね

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

11月6日 「平時直諌なくんば」

平時直諌なくんば、戦に臨みて先登なし。 
 安政6年3月「感傷の言」

【訳】

日ごろ、(殿を)直接諌めるということができなければ、
戦の際に、真っ先を駆けて、敵陣に斬り込むことなどできない。

戦国時代の殿様への苦言は切腹につながったりするからですね。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

11月5日 「相談しては叱られた」

人の上に立てば立つほど迷いが生じてきます。
私は幸之助によく相談に行きました。
ところが、自分の指導者としての一念を明確に持たないまま行くと、
「君はそれでも指導者か」と、その場で叱られたものです。
いかなる困難であってもそれに対して進むべき時、
必ず自分なりの考えを持って事にあたることです。
そうすることで必ず道は開けます。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版
『吉田松陰一日一言』
―魂を鼓舞する感奮語録―

11月5日 「同じからしむること能はず」

孔子人を教へしより、已に人をして皆己れに同じからしむること能はず。 
  嘉永5年8月26日「※治心気斎先生に与ふる第三書」

【訳】

あの聖人孔子でさえ、人を教えていた頃から、人を自分と同じようにすることは不可能であった。

※長州藩 山田宇右衛門。治心気斎は号。松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。