『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

6月2日 「自由自在な智慧も出てこない」

「窮屈な枠の中で、窮屈なものの考え方をしていては、
心の働きも鈍くなり、自由自在な智慧も出てこない」
私が松下通信工業株式会社東京営業所長になった時、
いただいた言葉です。

窮地は常にある。それを乗り越えていくところに、経営の
妙味があるのです。
矛盾を矛盾としない、経営の自由度を360度にすれば、
生命の美しい花は咲くのです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

6月1日 「大きなことと、小さなこと」

「木野君、成功する人は日々の些細なことに注意を払い、
基本を遵守するという二つの側面を持っているものだ」
これも幸之助に強く教えられたことの一つです。

仕事に成功するには、小さなことと、大きなことの基本的
な考え方の二つが大切です。
平凡なことを疎かにしたり、小さな事柄を馬鹿にしたりし
ていては、成功は逃げて行ってしまうのです。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版

『吉田松陰一日一言』

―魂を鼓舞する感奮語録―

「武士たる者は」 

敬は乃ち備なり。武士道には是れを覚悟と云ふ。論語に「門を出でては大賓を見るが如し」と云ふ。是れ敬を説くなり。※呉子に「門を出づるより敵を見るが如くす」と云ふ。是れ備を説くなり。竝びに皆覚悟の道なり。敬・備は怠の反対にて、怠は即ち油断なり。武士たる者は行住坐臥常に覚悟ありて油断なき如くすべしとなり。  安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

敬うとは備えることである。武士道ではこれを覚悟という。『論語』に、「わが家の門を出て他人に接する時には、高貴の客人を見る時のように敬しみなさい」という。これが敬を説いている。『呉子』に、「門を出た時から、敵を見るようにしなさい」という。これは備えを説いている。共に、覚悟のあり方である。敬うことと備えることは怠るということの反対であり、怠るとは、つまり油断である。武士というものは、日常の起居動作において、常に覚悟をし、油断のないようにすべきである、ということである。

※中国の春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。『孫子』と並び称される。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

5月31日 「悩みあればこそ、道は無限にある」

「悩みあればこそ、道は無限にある」と、幸之助は人間の
可能性、偉大さ、素晴らしさに経営の基本を置いています。
「組み合わせは無限、人の力も無限、だから、経営に不可
能はない。すべてを蘇生させれば、道は無限に生きてくる。
そのすべての源は、人間だと。
経営は、人間が人間のために行う最高のものだ」と言い続
けていました。
悩みが人を強くし、悩みが希望をつくり、悩みが幸せをつくる
のです。

『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版

『吉田松陰一日一言』

―魂を鼓舞する感奮語録―

「其れ徳のみ」 

士、達しては天下を兼ね善くし、窮しては其の身を独り善くす。独善の志ありて、而して後兼善の業あり。窮達を貫きて而して志業を成すもの、其れ徳のみ。  安政2年7月4日「※徳、字は有隣の説」

【訳】

武士は、目指していた世界に到達した時には、国家全体を善導し、逆に、困窮している時は、我が身を正しくするものである。まず、我が身を正す、という志を果たして後、国家全体の善導をなすことができるのである。困難極まりない状態を堪え忍び、志を完遂させるもの、それは徳だけである。

※富永有隣。徳は名。野山獄の同囚。出獄後、松下村塾で松蔭を助けた。