「徳」が発揮する偉大な力の行方

「私の不徳の致すところです…」とは、企業や組織で起こった事故や事件、また不祥事などが起こった際に、当該企業の経営陣やその組織のトップが謝罪する場面でよく使われる常套句です。
確かに「組織は一人の人間の長い影にほかならない」という言葉に象徴されるように、経営者自身は直接的に携わらなくとも、部下や従業員の故意・過失にかかわらず「結果に対して責任を持つ」という気概は、トップの覚悟として大切な要件の一つです。
また逆に、良い結果が出た時に、それを「私の人徳ですよ」などと吹聴したりしないことも、望まれるトップの良き姿勢です。
ある結果を招いた一つの要因として、物質的には捉えることのできないトップ個人の「徳」に着目することは、非常に日本的な考え方だといえるでしょう。
      ▽
現在、ある意味で社会現象にもなっているAKB48。その「第4回AKB選抜総選挙」で上位にランクインした各メンバーが、ファンや支えてくれた人たちへの感謝の気持ちや胸の内を吐露しています。
彼女たちの中心的存在である高橋みなみさんは、「努力は必ずしも報われるものではないと言う人がいますが、私は努力しなければ何も始まらないと思います」と、目標へ向かって努力を惜しまないことの大切さを、周囲への感謝の気持ちと共に力説しました。お互いが切磋琢磨しつつ、組織の向かうべき方向を明確に訴えるスピーチといえるでしょう。
この言葉を裏付けるように、メンバーたちの彼女に対する信頼は絶大で、プロデューサーの秋元康氏をして「高橋はAKB48の顔」「AKB48とは高橋みなみのことである」と言わしめるほどです。
第一期生としてメンバー入りした彼女は、まったくのマイナーな時代からトレーニングでは先頭に立って声を出していました。練習についていけない後輩に最後まで付き合うなど、周囲の信頼を集める彼女の姿がそこにはあり、現在も彼女の後姿に引っ張られるメンバーは多いようです。
我が倫理法人会にも同様の方はいます。会員A氏は、日本創生を目指す倫理運動に心底共感し、倫理運動の創始者・丸山敏雄の墓所に毎日のように参拝しています。百回・千回という節目には、自宅から何時間もかけて徒歩で向かうという徹底ぶりです。
自らの日常をチェックしつつ、今後の指針を得ようと常に心がけ、行動において周囲と比して抜きん出た実践ぶりであっても、一切そのことを吹聴しません。このA氏の語録をチェックし、手帳にメモをして、自己を奮起させるツールとして活用している経営者もいるほどです。
「徳」には限りなきパワーが存します。その人の発する言動に説得力を持たせ、その説得力に裏打ちされた偉大な力が、周囲の人を動かすものなのです。

甘い言葉を聞いたら自己を引き締めろ

「耳ざわりのいい言葉には気をつけろ」と昔
から言われます。心地よく響く言葉には、人
の理性を狂わせ酔わせるものがあるようです。
企業コンサルタントの小林氏が若い頃のこ
とです。社内の研修部門で経験を蓄積し、い
よいよ現場へと巣立つことになった時、先輩
から餞(はなむけ)の言葉をもらいました。
「現場に出ていく君に、一言いっておきたい
ことがある。当社の顧問企業には、人生の辛
酸を舐め、それを力強く乗り切ってきた多く
の先輩がいる。その先輩たちが、まだ若い君
を『先生』と呼んでくださるだろう。その言
葉に対し君がどのように反応するかで、君の
人生は決まるといっていい。先生と呼ばれる
たびに〈自分はそんな中味の人間ではない〉
と恥じ入り、先生と呼ばれてもおかしくない
自分になろうと励みにするのであれば、大き
く道を踏みはずすことはないだろう。『先生』
という言葉には注意するように」
顧問企業の指導にあたるようになった氏は、
目の前の相手から「小林先生」と呼ばれるた
びに先輩の言葉を思い起こし、ひたすらに自
己を高めようと努力しました。
しかし人間とはやっかいなもので、そのう
ち先生といわれることに慣れていったのです。
ある日のこと、顧問先の若手社員を中心と
した会合に小林氏は顔を出しました。先月に
課題として与えていたものが全員手つかずの
状態であったことに、思わず小林氏は一人ひ
とりを名指しで厳しく責め立てたのです。
「普段からだらしのない生活をしているから
このザマだ。だいたい君らはやる気があるの
か」と机を叩いて怒鳴りまくったのです。
すると年端もいかぬ青年が突然立ち上がり、
「小林君、そんな言い方はないだろう。自分
たちはそれぞれ業務をこなしながら取り組ん
でいるんだ。確かに課題をやらなかったこと
は僕たちに非があるが…」と言ったのです。
小林氏はこの青年の「小林君」という言葉
を聞いた瞬間、〈こいつ、俺を君づけで呼んだ
な。なぜ『先生』と言わない!〉と逆切れし
かかったのですが、冷静になる中でかつての
先輩の言葉を思い出したのでした。
〈そういえばここ数年、「先生」という言葉に
酔いしれ、戒めとして常に精進することを忘
れていたな。なんと情けないことか…〉
年長者を君づけで呼ぶこと自体は誉められ
たものではありませんが、しかし小林氏は今
でも「小林君」と呼んでくれた青年に感謝し
ています。「彼があの日、『小林君』と呼ばな
ければ、もっと鼻持ちならぬ人間に自分はな
っていた。まさにあの時の一言は、私を正気
に引き戻してくれた」と述懐します。
この「先生」という言葉に匹敵するものに、
「社長さん」という呼ばれ方があります。「社
長さん、社長さん」と言われているうちに、
自分を見失う経営者が少なからずいるようで
す。必要以上に背伸びをして脇が甘くなり、
妙に気前がよくなっては不必要な金をばらま
いてみたり、どうでもいいことを引き受けた
り…。時には連帯保証の押印をした後、その
処理に非常な苦労をしてみたりと、とかく耳
ざわりのいい言葉には注意が肝要です。
足下をしっかりと見つめ、自分がやるべき
ことに情熱を傾けるのです。そして名実とも
に「社長」と呼ばれるにふさわしい人格を確
立するのです。「社長」として恥ずかしくない
人物へと自己を磨き高めていきましょう。

「絶対に逃げるな」現実を正面で受ける

「最も優れた人々は、苦悩を突き抜けて、歓喜を獲得するのだ」。これはドイツの作曲家・ベートーベンの言葉です。
ベートーベンは聴覚の障害に苦悩しながらも、数々の名曲を世に送り出しました。日本では年末恒例の「交響曲第九番」の合唱が有名です。この曲は「苦悩から解放され歓喜を得る」という構成になっているそうです。
 苦難を解決したり、悩みを解消したり、あるいは願いを叶えるには、当然のことながら自分自身が相応の努力をしなければなりません。努力とは自らの意志の力で向上することで、要は「自らが変わる」ことです。
「苦難が解決した」「悩みが解消した」「願いが変わった」とは、「状況が良い方向に変わった」ということです。ただし人間とは保守的なもので、「できれば変わりたくない」という思いを抱いています。また「変わりたいけれど変われない」ということもあるでしょう。
しかし、現在の状況をよりよい方向に変えるためには、何かを変えなければならないのです。手をこまぬいていたのでは、状況は変わりません。私たちには自らの意志ですぐに変えられるものが与えられているのです。それは「自分自身と未来」です。もちろん、個人の力で変えられないものもあり、それは受け入れなければなりません。
倫理の実践とは、自らの壁を突き破り、自らがよりよく変わる「自己革新」とイコールです。その実践を促す手段に「倫理指導」があります。「倫理指導」は倫理法人会会員であれば、有資格者に無料で受けられます。
企業運営の問題、夫婦・後継者をはじめとする人間関係など、経営者は人に言えない悩みが積み重なったり、突然の苦難に見舞われたりすることがあります。それによって平常心を失い、ともすると判断や対応を誤って深みに陥る場合があります。もちろん「倫理指導」を受けただけでは状況は変わりません。その後の実践が重要であることは当然です。
 K氏の経営する建設会社の従業員が、ある事故を起こした時のことです。K氏は忙しさもあって、ただ慌てふためくばかりでした。その時、〈そうだ、倫理指導を受けよう〉と思い立ち、さっそく指導を受けたのです。
 その際、「現実をしっかりと受け止めて対処するように。絶対に逃げるな」と言われたのです。当のK氏は、実は逃げ出したかったといいます。「逃げ出したいのに加えて、この責任をうまく誰かに押しつけられないだろうかと、それしか考えていなかった」といいます。
しかし倫理指導によって、「よし、現実を真正面から受け止めて対応しよう」と決心したのです。K氏が自分の弱さを知り、変わった瞬間でした。その後、必死の実践により状況は好転していったそうです。
 人は順調に物事が運んだり、ある程度の成功を収めたりすると、いつまでもそれを享受したいと思うものです。現状に安住してしまえば、そこから先の向上はありません。苦難や悩み、高い目標が刺激となり、乗り切るための反省や工夫を促すことで、秘められた力が発揮されるものです。苦難は自らが変わり、そして運命を変える「鍵」なのです。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

3月26日 「成功は過去でもなく未来でもない」

成功は過去でもなく未来でもない。
今日(こんにち)、只今を如何に生き切るかで得られるものです。

成功の反対は、失敗でなく妥協です。
「自分自身との安易な妥協が、人生の目標値を下げて行く」と
幸之助は言っていました。
今を精いっぱい生き切る。

事業の成功はそこにしかないのです。

覚悟した時に始まる自己成就への道

精魂を込めた名工の仕事ぶりは、日本の
伝統を支えてきた「技」の一つです。現代
ではデザイナーと名工との共同作業も見ら
れます。国内外で評価の高い、柳宗理(やな
ぎ・そうり)氏と㈱天童木工の作品「バタフ
ライスツール」という椅子などは、その一
つといえるでしょう。
物作りに従事する四十代のM氏が、作品
が売れないと途方に暮れていた時のことで
す。東京都の小平市立平櫛田中彫刻美術館
で、平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)氏の「い
まやらねばいつできる、わしがやらねばた
れがやる」の書を見つけました。そして〈自
分にできることは何なのだろう〉と振り返
ったのです。
M氏が物作りの世界で生きる決心をし、
ある師匠に弟子入りをしたのは二十六歳の
時でした。当時七十歳の師匠が「六十、七
十は鼻たれ小僧。男ざかりは百から百から、
わしもこれからこれから」という平櫛氏の
言葉があると教えてくれたのです。そして
その師匠は「私などまだまだ鼻たれ小僧だ。
ここからだ」と力強く語ったのです。
平櫛氏は 明治五年に現在の岡山県井原
市に生まれ、青年期に大阪の人形師・中谷
省古の元で彫刻修業をした後、上京して高
村光雲の門下生となりました。精神性の強
い彫刻作品を制作したことで知られます。
彫刻家の平櫛氏が、本格的に「書」に打
ち込むようになったのは、八十歳を過ぎた
頃といわれています。老齢により耳が不自
由になってからは、電話が使えないので毎
日のように手紙を書いて連絡をとってい
ました。
百七歳でその生を全うしますが、百歳の
誕生日の時に向こう三十年分の彫刻の材
料を買い込み、そこで「六十、七十は…」
の言葉が生まれたのです。
美術館のフロアにたたずむM氏の脳裏に、
往時の師とのやりとりが甦りました。そし
て今の自分の身を省みたのです。
〈この資材は何年後かにはもう使わなくな
るものだから、という頭でいたとしたらど
うか。平櫛氏のように三十年分の材料を購
入することはできないだろうが、果たして
自分はどれだけの覚悟を持って仕事に精魂
を傾けているだろうか〉
そして〈時勢や経済に責任転嫁をし、自
分ができる物作りに全身全霊で打ち込んで
いただろうか。いや違う〉と強く思ったの
でした。
決心とは、平櫛氏のように準備を万端に
することで退路を断ち、現実の事柄と誠実
に向き合っていくことです。目の前の現象
に右往左往し、「もしかしたら」「たぶん」
「〜と思う」などの言葉に甘えを求めて、
塞いだはずの退路を突貫工事しているよう
では、決心したとは言えません。
「決心は九分の成就」です。断固とした決
心を元に、諦めず、めげず、「これでもか、
これでもか」と繰り返し繰り返し行なうこ
とで、強固な信念は培われるのです。