目に見えずともひとつながりの世界

純粋倫理の特色
道徳の規範となる原理を「倫理」といいます。社
団法人倫理研究所が提唱する純粋倫理は、実行によ
って直ちに正しさが証明できる生活の法則(すじみ
ち)と解説できます。
つまり、実行すること(徳・行為・実践)が、直
ちに幸福(福)の生活に結びつく(一致する)生活
法則であると説明出来るのです。これが純粋倫理の
大きな特色です。
倫理研究所の創設者である丸山敏雄の長年の実
験・研究により実証された純粋倫理は、いつ・どこ
で・誰が行なっても再現性が可能な(必ずそうなる)
生活法則であり、科学に立脚していることが大きな
特徴です。
宗教に出入する倫理
経営者モーニングセミナーにおいて、純粋倫理を
学ぶテキスト『万人幸福の栞』に、「親をとおして
己の生命の根元にさかのぼれば、そこに神仏にかえ
る。敬神崇祖、即宗教に入ることが、真の人となる
ゆえんは、ここにある」とあります。この部分の解
釈は難しいので解説文を引用します。
親、祖父母、曽祖父母、……と、つぎつぎにもと
にかえって、そのゆきさきは、宇宙大生命と見る。
すなわち、神から人間が生れ、宇宙大生命をわけ持
って、祖先が人間として誕生し、その生命をひきつ
いで、今日の自分があるのだ、と自覚する。そうし
て親から祖先へと、さかのぼってゆけば、宇宙大生
命すなわち神にかえることになる。敬とは倫理の世
界である。(中略)
しかるに、そのようにして祖先を敬してゆけば、
結局宇宙大生命すなわち神にいきつくのであって、窮
極的には、神を信じ尊ぶことにほかならない。そこが
宗教的なところである。(中略)
「敬神崇祖、即宗教に入る」とは、こうした消息をさ
しているにほかならない。何代までさかのぼれば、神
に至るのか、といった合理的説明はなされずとも、つ
ぎつぎにさかのぼってゆく過程を思うとき、倫理界の
ことが、そうした、時間的歴史的なるつながりをさか
のぼって、宗教界に至っていることが容易に理解せら
れるであろう。ここに倫理と宗教とが、一つづきであ
ることが分るのである。
(丸山竹秋著『倫理と宗教』新世書房・絶版)
こうした様子を「出入」と表現したのです。純粋
倫理は、科学と宗教を結び付ける役割も果たすとい
う特色を有するのです。
祖霊迎拝の倫理
亡き肉親の御霊に積極的に語りかける、感謝を捧
げる、その遺志を継いで喜んで働く実践を総称して
祖霊迎拝の倫理実践と捉えます。結果として、肉体
的、精神的、物質的援助に支えられ、生活環境が整
うのです。

年配のM夫人は、店舗として貸していたコンビニ
が突然撤退し、多額の敷金を三カ月以内に全額返納
しなければなくなりました。この折、夫人は亡き夫
に日々の実践として現状を報告し、新しい借主との
縁が生れるよう、お願いし続けたのです。
一カ月半後、新規賃貸契約が結ばれ、無事、納め
ていただいた敷金を去っていくコンビニの返金に
充てられたのです。Mさんは、住む世界は違っても、
夫婦としての強い絆を再確認したのでした。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

3月29日 「経営理念は企業の顔」

「経営理念は企業の顔であり、企業の鏡であり、企業の魂である」
そして、企業の生命であり、企業そのものです。
経営理念を軸に会社は回るのです。

経営理念は、自分と事業の懸け橋なのですから、大切に大切に
しなければなりません。
いつも無言の教えをうけていました。

喜働の精神が新しい日本を創造する

働くことにおいて利他の精神は必要不可欠ですが、
この精神を顕著に表わしたものに奉仕活動があります。
皇居と赤坂御用地で清掃活動などを行なう「皇居勤
労奉仕」があります。諸手続きを経た多くの方々が全
国より参加し、戦後六十七年間継続されています。こ
の奉仕活動に参加した会友もいることでしょう。
始まりは、宮城県栗原郡の青年団員の純粋な日本を
愛する心と、申し訳なさから発した行為でした。終戦
直後、国会議員の秘書官をしていた長谷川峻氏が郷里
の栗原に帰った際、皇居周辺が荒れ果てているという
話をしました。それを聞いた青年たちは、皆で相談し、
戦火で荒れてしまった外苑の草むしりなどの清掃活動
をさせていただこうと決意します。
終戦直後の昭和二十年十一月、青年団の代表として
皇居の坂下門を訪れた鈴木徳一氏と長谷川氏は、宮内
庁の職員に青年たちの思いを伝えました。職員は二人
の話を聴いて感激します。
翌月の十二月八日に第一陣の奉仕団約六十名が、交
通機関もままならない中、約二十キロ近く離れた寄宿
舎から皇居に通いながら、すべて手弁当で四日間の奉
仕作業を行なったのです。
戦後アノミーが広がり、自分が生きることに精一杯
だった当時は、GHQが目を光らせ、皇室のために奉
仕する行為について逮捕される可能性が大いにありま
した。それを覚悟していた団員は、宮城を離れる際、
親類と水杯を交わして出発した人、〈皇居をきれいに片
付けないと日本が立ち直れない〉との意志で参加した
人など、様々な思いを抱いて上京したようです。
経緯をお聴きになられた昭和天皇は一言話をしたい
と、奉仕活動をする団員のもとに突然に訪れ、三十分
ほど郷里や道中のことなどを質問されました。御会釈
が終わって、感極まった団員たちは陛下が踵を返しお
帰りになる後姿に向って「君が代」を誰ともなく唄い
始めます。陛下は足を止められ、皇居に響く歌声をじ
っとお聴きになられていたそうです。その後、全国に
この話が伝わり、現在のような皇居勤労奉仕へと繋が
っていきました。
青年たちの行為は一面、自身を含め親類にも影響が
及ぶ可能性のある無謀な行為かもしれません。しかし
戦後の人世を鑑み、せずにはいられないとの情念から
発した行為は、多くの人に感動を与え、日本再建の一
歩を進むきっかけの一つとなったのです。

働きには様々な段階があります。①イヤイヤ・ダラ
ダラ、惰性、打算のレベル、②ガンバリズムに陥り、
独りよがりのレベル、③働く喜びに溢れているレベル、
④働かずにはいられないという感謝報恩のレベル、⑤
仕事そのものが楽しく喜びに溢れ遊んでいるのと同じ
感覚のレベル、です。①②は働き手の心が自分本位の
思考傾向があるのに対し、④〜⑥は相手優先の思考傾
向であり、利他の精神が強いという違いがあります。
倫理運動の創始者・丸山敏雄は働く人の心を、次の
ように記しています。
己が何も求めずに働くとき、その働きに応じて報いら
れるということが倫理の原則であること、が明らかにさ
れた。故にこれまでの世の勤労者の働きとその心構えは、
まるでさかさまになっていたのである。それは、飽くな
き己の欲望のために働いていたのである。そして「働け
ど働けど我が生活楽にならざりじっと手を見る」ことに
なったのは、当然である。
利他の精神に溢れた奉仕の精神を日常生活や仕事に
活かし、感動と喜び溢れる環境を創造していきたいも
のです。この輪の広がりこそ、日本が創造的に変わる
大きな原動力となるのです。

「喜び」への行動がよき思い出を生む

やなせたかし氏〈93歳〉原作のアニメ「アン
パンマン」は、子供たちがテレビに釘づけになる
ようなヒーローの一人です。
その主題歌「アンパンマンマーチ」は、誰もが
勇気と希望を得られる歌としても有名です。
東日本大震災発生の三日後、ある地元ラジオ番
組に視聴者からこの歌へのリクエストがありま
した。さっそくラジオ局で放送したところ、多く
の避難場所では子供たちがラジオに合わせて大
合唱を始め、大人たちも涙を流して感動したとい
います。それからラジオ局では、連日この歌を流
し続けました。
「アンパンマンマーチ」の歌詞は、原作者のやな
せ氏自身が作ったものです。自身の人生における
戦争体験や、その他の様々な辛い経験の中から得
たものが集約されています。
また、このアニメのヒーローである「アンパン
マン」は、困っている人や悲しんでいる人に、自
分の顔であるアンパンをちぎって食べさせ、元気
になってもらうという設定となっています。
当初は世の親たちから「残酷だ!」と大不評だ
ったようですが、「捨て身、献身の心なくして、
正義は行なえない」という確固たる信念を含んだ
表現を氏は貫きました。徐々に共感が得られるよ
うになって、子供たちの不動のヒーローになった
のです。
作者自身は明言していませんが、やなせ氏の二
歳下の弟である千尋さんは、京都帝国大学に進学
し、海軍の特攻隊である人間魚雷「回天」の乗組
員に志願しています。そしてフィリピン沖で散華
しています。こうした肉親の存在は、正義の味方
「アンパンマン」を世に送り出す上で、作者の心
の大きな柱になっていると想像できます。
「アンパンマン」のアニメ・歌詞からは、私たち
に強く訴えるものを非常に感じます。やなせ氏の
経験をベースにした内容が、私たちの機微に触れ
るからでしょう。それは何より氏の姿勢に一本通
っているからだといえます。
やなせ氏は人生の意味について「人生最大の喜
びは何か?それはつまるところ、人を喜ばせるこ
とだと思った。人生は、喜ばせごっこだと気づい
たとき、とても気が楽になった」と語っています。
そして「ぼくらはみんな、それぞれ違う思い出
を持っている。そして、なるべくよい思い出を作
りたいと思って人生を生きる」とも表現していま
す。「人生の最大の喜びは人を喜ばせることであ
る」という信念的な帰結が、詞のモチーフになっ
ているようです。
経営者は様々な業種・業態の中を生きています。
各人が苦労や責任を背負って日々を過ごしてい
ます。純粋倫理の実践は、そのような経営者の皆
さんの「よい思い出づくり」に力を発揮します。
必要なのは「人を喜ばせること」です。人を喜ば
せれば、自分が喜べる。お客様を喜ばせれば、自
分や社員が喜べる。それが「よい思い出」につな
がっていきます。
アンパンマンの歌が被災者に勇気を与えたよ
うに、私たち経営者は周囲に喜びを提供していき
ましょう。「日本創生」を目指す私たち倫理法人
会は、日本に生きる人たちの思いや願いを常に忘
れず、皆が安心して暮らせる「日本」であるよう、
それぞれが置かれた立場で、「人を喜ばせること」
を確認しましょう。そして「愛と勇気」を胸に、
熱い心で今を邁進していきましょう。

事象を素直に受け未来を変えていく

世の中には、経営者に関する教えが数多くありま
す。私たちの学ぶ倫理では、人としての「ものの見
方・考え方」を学び、そして実践しています。
その中の一つに「人を改めさせよう、変えようと
する前に、まず自ら改め、自分が変ればよい」とい
う項目があります。
例えば、社員がお客様とトラブルを起こしたとし
ます。その場合、社員を教育・指導し、再発防止に
努めるのは当然であり常識ですが、倫理ではさらに
一歩突っ込んで、「身の回りに起こる全責任は経営
者である自分にある」と見て、自分の行ないや心を
見直すきっかけとするのです。
ある建設会社は、住宅販売を中心に毎年売り上げ
を伸ばし続けている優良企業です。しかし以前は今
日のような経営状態ではなく、いつ倒産するかどう
かの瀬戸際に立たされていた時期がありました。
会社がガタガタしていた原因は、社長と専務の不
仲にありました。父親から譲り受けた会社を、社長
を兄、専務を弟が継ぎました。不仲になったきっか
けは、専務である弟の酒乱でした。
初めて兄弟で酒を酌み交わした日のこと。だんだ
んと弟の目が据わり始めました。そして突然、社長
である兄に仕事や家庭のことで愚痴を言い始めた
のです。兄は適度に受け流していましたが、次第に
口だけではなく手を出し始めたのです。
怒り心頭に達した兄は、家族の前で弟と大喧嘩を
しました。それからというもの、親族が集まるたび
に、いつも弟の酒乱で揉めることが多くなったので
す。見かねた兄は再三、弟に酒を止めるよう忠告す
るのですが、いっこうにその気配はありません。
ある日、取引先との宴席があり、兄は弟に代理と
して出席させました。その翌日、取引先の社長から
強い怒りの電話がかかってきました。宴席で弟が社
長に絡み、大喧嘩になったというのです。兄はすぐ
に弟を呼び出して取引先にお詫びに行きましたが、
先方の社長は腹の虫が収まらず、結局、以後の取引
きは解消となってしまったのです。
会社にとっては大口の取引先であったため、それ
以来、兄は弟を責め続け、兄弟の仲はさらに悪くな
り、社内で口もきかなくなっていきました。
そんな中、兄が出席した宴席で、弟と同じように
酒乱の人が仕事上のことで絡んできたのです。なん
とか我慢はしつつも怒りが収まらずにいたところ、
周囲が「あの人の家庭は複雑なんだよ。あの人も被
害者だから許してほしい」というのです。
その瞬間、兄は弟のことを思い出しました。実は、
祖父・叔父と酒癖が悪く、代々にわたり酒乱が出て
いる家系だったです。
「弟は家系という流れの中で、負の遺産を引き継い
でいたんだ。もちろん弟は好きで引き継いだわけで
はない」と気づいた兄は、すぐさま弟に詫びを入れ、
責め心を持っていた自分の考えを改めたのです。
その後、弟は不思議なことに、どんなに酒を飲ん
でも愚痴を言わなくなり、暴力も振るわなくなった
のです。それどころか、社長である兄を慕い、仕事
も率先してこなすようになり、現在の繁栄を築く原
動力となったのです。
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変え
られる」という言葉があります。身の回りに起こる
ことを自身の成長の糧として捉えた時、人生観は大
きく変化します。
あれが悪い、これが悪いと人を責める気持ちを捨
て、身の回りに起こることすべてに感謝の心を持っ
て自分を変えていく努力をしていきたいものです。