『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

4月8日 「君、人好きか」

「君、女の人、好きか」
と、聞かれて、好きですと答えました。
「男の人はどうか」
と、聞かれて、好きですと答えました。
幸之助は、さらに「嫌いな人も好きか」と、聞いたので、
ノ―と答えました。

「君、会社に入ったら男も女も嫌いな人でも、全部好きにならな
アカン。仲間やで。家族と一緒やで。それが出来ないと本当の
経営が出来ない」と、教えてくれたのです。

杉本さん リレーメール含めありがとうございます。
優秀なお子様たちですね、今度教育方法教えて下さい。
では、次の方お願いします。

人生の転換期を見極めて前進せよ

経営状況や環境が変わる今の時代、企業は総じて「変化対応業である」といわれます。私たちも人生のうちに幾度か、人としての変化を求められる出来事に遭遇します。
S氏は父親から自分の本意ではない仕事を勧められ、はじめは抵抗していたものの、A社へと入社することになりました。
 入社七年目に差し掛かった頃、氏が担当する仕事でクレームが相次ぎました。一つひとつ丁寧に処理はしていくものの、クレームが度重なるにつれ、氏の心の中には〈自分が好きで入社した会社ではないからだ〉という気持ちが沸き起こり、いつしか原因を父にあると思い込むようになりました。身の回りに起こる事態の原因を、すべて父に責任転嫁していたのです。
 ある日、氏は自暴自棄になって、持っている荷物の中身を書類、財布、クレジットカード、定期券にいたるまで、すべて橋の上から川へ投げ捨てたのです。
「これで仕事を辞められる」
肩の荷が下りたと思った瞬間、次に襲ってきたのは、その後の将来に対する不安でした。「取引先と我が社との関係はどうなるのか」「上司や同僚に迷惑をかけないか」「家族はどう生きていけばいいのか」。
 精神的に錯乱状態に陥ってしまった氏は、着の身着のままの状態で国道を歩きながら、道路に飛び出して自殺を図りましたが、運よく車が停まってくれて、命を救われました。
 夜を徹して国道を歩いていた明朝、とある寺で出会った住職から「お前の顔には死相が出ている」と突然に言われました。驚いた氏はここに至るまでの事情を住職に話すと、お堂へ入るように促され、仏様の前に着座してから、次のような一言を教えられました。
「手を合わせるということは、二つが一つになるということ。右手は仏様であり両親でありお客様で、左手は自分自身。自分から相手に心を合わせようとしないと、自分の持っている素晴らしい能力は輝かない」
 氏はその話を聞いて、胸が締めつけられるような悔しさと恥ずかしさが込み上げてきました。「仕事のトラブルやクレームは、父親のせいだ」と責任転嫁して父と対立関係にあったことを改めて知ったからです。
住職の一言で深く反省をした氏は、その場ですぐに父に電話をし、事の経緯とこれまでの親不孝を詫びて、心を入れ替えたのです。
 住職との出会いにより、その後の氏の人生は大きく変わりました。父との親子関係が良くなったのみならず、仕事への意欲や使命感に燃えて働く喜びを日々感じられるようになりました。さらに、お客様や取引先とも深い信頼関係の絆を結ぶことができたのです。
 人生には何度か大きな転換期が訪れるものです。そこに背を向けて生きるのか、真正面から受け入れて、自己の成長の糧と捉えて前進するのかで、その後の人生は大きく一変していくのです。一生に一度の人生をよりよく生きていくために、目の前に与えられた環境や状況は自分にとって必要なものと捉えていくところに、新たなる道が切り拓かれると心しましょう。

チャレンジの連続が目標を現実に導く

チャレンジとは挑戦、物事に挑む姿勢です。皆さんは、未知なるものに勇気を持って挑んでいるでしょうか。何に挑むかは人それぞれに異なっていることでしょう。
プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎氏(80歳)が、世界最高峰エベレスト(8848メートル)の世界最高齢登頂記録を塗り替えたことは記憶に新しいところです。
三浦氏は、2003年、当時の最高齢となる70歳でエベレストに登頂し、75歳だった2008年にも再登頂。今回は3度目の挑戦でした。
頂上に立った瞬間を振り返り「人生、諦めなければ夢は実現できる。素晴らしい宝物をもらった」と述べ、世界最高齢での記録達成については「高齢化社会だが、年齢に負けてはいけない。80歳はまだ、人生のスタートである」と語っています。
三浦氏の言葉は、何歳になっても自分の夢をあきらめないこと、情熱を持って目標に取り組むことを強く訴えています。そして、健康、体力、気力を持ち続けてやりきることの肝要を私たちに教えてくれました。
足首に重りをつけたり、ザックを背負って講演したりと日常生活から目標に向けてコツコツと努力を積み重ねて登頂に挑んだ氏の姿勢は私たちも学ぶことが多いでしょう。
 超高齢社会に突入している日本ですが、高齢者はもちろん、すべての人たちに勇気と希望を与えてくれました。
政府は、大自然の中で人間の可能性にチャレンジした冒険家を表彰する「三浦雄一郎記念日本冒険家大賞」の創設を発表しています。
会社は、社長の器の大きさ以上にはならないと言われています。まず経営者が明確な目標を確認し、今期の目標実現に向って挑んでいくことです。目標というのは、現在の延長戦上にあります。今までやらなかったこと、出来なかったことを誠実・堅実にやっていくのです。
さらに、社員にも目標実現を徹底させましょう。社内の掲示板に張り出しておけば、忘れずに行動に移すことが出来ます。一人ひとりが何を目標にして挑戦しているかを経営者が把握しておくことも大切なのです。
「目標なくして人生を歩く者は、あたかも大海を舵なくして渡る船のようなもの」の言葉にあるように、どこに行き着くかわかりません。目標実現は簡単なことではありません。目標を必ず実現するぞという意思をしっかり持つことです。確固たる信念を持って、目標にどれだけ本気で真剣であるかにかかっているのです。
結果は大自然の領分であり、人間の領分は、掲げた目標に向かって諦めず、朗らかに喜んで全力を尽くしていくことです。
まず、自分自身を磨き高めていきましょう。今の自分を向上させた程度によって、目標は実現可能になっていきます。
そして、見事に達成すれば、達成感とともに必ず大きな自信がつきます。自信を持てれば、次の目標を高く設定して、またチャレンジしていくのです。チャレンジの連続が、人間を大きく成長させていくのです。 

報恩の誠を湧き起こし生きる力を甦らせる

元来、日本人は清浄なものを好み、汚いもの穢れたものを忌み嫌うとされました。かつて日本では、日常生活を「ケ」の日、祭りを「ハレ」の日とし、人は知らず知らずのうちに気が枯れてしまうものと考えられていました。その枯れた気持ちを祭り、「ハレ」によって甦らせようと考えられてきたのです。
気枯れるとは、悪気があろうと、なかろうと言葉によって他人を傷つけてしまうことです。良かれと思った行為が、かえって他人の迷惑になっている場合も該当します。またきっちりと言葉に出して他人に自分の思いを伝えるべきことを、腹の中にぐっと押さえ込んで、心の中では他人を責めている場合も当てはまるでしょう。
このようなことから、日本では気枯れてしまう人間を、水や湯で体を清める潔斎、海や川や水を身に注ぎ清める禊ぎ、人形代(ひとかたしろ)に罪・災い・穢れなどを移し水に流す、火によってお焚き上げをする等の方法を採っていたのでした。
今一度、こうした日本の伝統行事を見直し、自身の置かれた環境を見直してみてはいかがでしょうか。
人・物・状況・自然現象に対して、意識的にせよ、無意識的にせよ、何か不自然な心持ち(思い)や行ないがあるのであれば、反省する機会を持ち改善することが大切です。
純粋倫理における穢れ、祓いとはどのようなものでしょうか。穢れは、恐れ、怒り、悲しみ、妬み、不足不満の心、囚われる心、自分本位な自己中心的な考えなどが挙げられます。祓えとは「明朗」ほがらか、「愛和」なかよく、「喜働」よろこんではたらくことを通して、日常生活の中で実践していくことに尽きるのではないでしょうか。
改めて社員に対して、「ありがとう。期待しているよ」、お客様には「お蔭様でありがとうございます」などの真心こもった言葉を使っているか、自身を振り返ってみましょう。また家庭では、夫や妻に対して「あなたのおかげで安心して働けます」「いつも感謝しています」など気恥ずかしい言葉であっても、プラスの言葉を使ってみましょう。
日頃使っている道具類に対しても感謝を込めて後始末や手入れをしていきましょう。自社製品に対しては、絶えずその知識を深め研究調査をして、愛情と真心をこめて販売しているかを問い直してみるのもよいかもしれません。
人が心身を清めて純情無垢な姿に立ち返る時、日常では「あたりまえ」としか思えない事柄の中に、実は「有難いもの」が潜んでいることに気づきます。報恩の誠を湧き起こし、自身の生きる力を甦らせていきましょう。

執着を捨てきった時真の自分に出会える

不必要な物を捨てることができずに、物に囲まれて仕事をしている人は、意外と多いのではないでしょうか。
 次の短歌は、倫理研究所の創立者・丸山敏雄が弟子の一人に贈ったものです。

すてにすて すてて又すて すててこそ
まことの我は あらはれるとしれ

Aさんは以前、不必要な物を捨てることができずにいました。さらには整理整頓も苦手でした。ある日の経営者セミナーで、様々な物を捨てた経営者の体験談を聞きました。そこで「まず捨てる実践を始めよう」と決意したのです。
一日目は、自分の身近な物を捨てることにしました。はじめは、自室の書斎からです。Aさんは経営者という立場から、多くの本を読みます。本は情報を仕入れるツールですが、その時代が過ぎれば情報は古くなります。もちろん「座右の書」のような一生、傍らに置いて何かあった時に開く本もあるでしょう。しかしそれ以外の本は思い切って処分することにしました。そうして不要になった本の中には書店で購入し、まったく読まずにいたものもあり、結局三分の二の本を処分することになったのです。
次は、クローゼットやタンス等に入りきらないほどの衣服です。その多くは、体型の変化により、着ることができなくなってしまったものです。「あと三キロ痩せれば…」そう思いつつ、捨てることを躊躇していた衣服は、いつまで経ってもその日は訪れませんでした。体型回復を待たずして、着る機会のない衣服を半分以上処分しました。
二日目は、会社の机や書棚に乱立する書類の処分です。会議の議事録、新聞のスクラップなどの資料や原稿、半年間、目にしていない書類はすべて処分しました。
二日間を通じて、Aさんは、今まで物を捨てられなかった理由がわかりました。
整理整頓をする際、捨てる物と残す物を分類します。しかし双方に該当しない物があったのです。つまり、分類しようとしても捨てるか残すかの判断がつかない物です。これらの物が、捨てることが出来ずに、会社の自分の机周りを乱している原因だったのです。
以後Aさんは「どうしようか迷った物」もすべて処分することにしたのです。不要な物を処分した時、残された物は、本当に必要な物だけであることにAさんは気づきました。
ほんとうは、人間は無くなるようなものなんか、もっていないのである。なくしたように見えるのは、実は自分の本当の姿に返ったのであり、ほんとうの自分の真面目に返ったのだから、それが、うそのない自分である。 (『歓喜の人生』)
物を捨てるという行為は、執着する心、捉われる心を捨てることです。冒頭の短歌のように、捨てて捨てきった時、本当の自分自身が現われるものです。
今一度、自分の周囲を見回してみましょう。不必要な物を思い切って捨てることが、真の自分への第一歩と心しましょう。