木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月7日 「善・悪ともに共存するのが世の中」
善・悪ともに共存するのが世の中です。悪は善をつぶそうと狙って
いるのです。
しかし、「世間の風評に惑わされてはならぬ。悪に振り回されたら、
自分まで悪に染まってしまう。だから、徹して誠を尽くせ。
そしたら、悪は自然と消滅する」と言われ、
「自分の世界に閉じこもっていたら、人間の美しい花は咲かないよ」
と、幸之助は諭してくれました。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月7日 「善・悪ともに共存するのが世の中」
善・悪ともに共存するのが世の中です。悪は善をつぶそうと狙って
いるのです。
しかし、「世間の風評に惑わされてはならぬ。悪に振り回されたら、
自分まで悪に染まってしまう。だから、徹して誠を尽くせ。
そしたら、悪は自然と消滅する」と言われ、
「自分の世界に閉じこもっていたら、人間の美しい花は咲かないよ」
と、幸之助は諭してくれました。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月6日 「夢は実現するもの」
夢は実現するものです。
夢を希望に変え、さらに深く決意して、具体的に目標を定めるのです。
そして強く実践し、それを繰り返して行うところに、初めて夢は実現す
るのです。
「何事も苦労したぶんだけ、道は開けてくる。すべてを素直に受け入
れることや」と、幸之助は心の持ち方を大切にして経営していました。
邪念を捨てれば夢は必ず実現するもの、と信じ切ることです。
「十年ひと昔」とは、物事を振り返る際に耳にする言葉ですが、最近では「五年ひと昔」や「三年ひと昔」とも言われるように、変化のスピードがどんどん早くなっています。
倫理法人会員のF氏は、先日、昔なじみの倫友に五年ぶりに会いました。お互いの近況を話しているうちに、五年前に共に活躍していた会員の方々の話題へと移りました。
「Hさんの会社は、地域でも評判の企業に成長していますよ。Sさんのところは、活力朝礼を導入して、ますます会社が良くなり、支店が20店舗以上になりました」
「それはよかったですね。ところで、KさんとMさんはお元気ですか」
「ああ、あのお二人ですか。Kさんは退会したんですよ…。取引先との間で契約上のルール違反があったとかで、会員も辞めたんです。Mさんのほうは、癌が発覚し、それで会社の成績も落ち込んで、ついには倒産に追い込まれてしまったんです」
それぞれ五年前はF氏と一緒に活動していた仲間でした。先の二人(Hさん、Sさん)の吉報は何よりの喜びですが、後の二人(Kさん、Mさん)の様子は心が痛むばかりでした。同じように純粋倫理を学び、実践に励んでいたのに、どうしてこれほどまでに差がついてしまったのでしょうか。
思い当たることは、繁栄をしている二人は、とにかく心がすなおでした。MSや講演会で聞いたことや倫理的なアドバイス等は、まっすぐに実行していたのです。
一方で、後の二人は、共になかなかのやり手といえる人物でした。しかし、やり手であったがために、倫理を学びつつも最後のところで、すなおに成り切れません。自分を無くしきれず、倫理にどっぷりと浸るところが乏しかったのでした。
現代社会は、様々な経営セミナーや勉強会であふれています。そんな中にあって、倫理法人会は「純粋倫理」を実践し、倫理に則った生活を送ることにより、永続的な繁栄を目指す会です。
すなおな実践は、時に目には見えざる大自然とつながり、大自然からの限りない力を受けることに至ります。そして不思議ともいえる奇蹟的体験(繁栄)が得られる場合があります。これこそが倫理法人会に入会し、純粋倫理を実践する醍醐味といえるものです。
自分一人の力など、せいぜい知れたものです。自己を無くしきれずに、自分の力で何とかしようとする間は、この倫理の不思議さを味わうことはできません。
『万人幸福の栞』の十七カ条は、どの条もそれぞれの状況で、すなおになる方途が書かれています。その中でもとりわけ、すなおな自分に至る最短の実践項目は、両親に対するものです。これまでいろいろあろうとも、最後はすなおに従う生活を送ることです。
縁あって出合った、この奇蹟に至る道を無駄にせず、大切に活かしていきましょう。
倫理法人会は日本創生をスローガンに掲げています。「創生」とは単なる再生ではなく、創造的に生まれ変わることを意味します。
大きな変動期の中では、歴史や先人から真摯に学ぶことが大切です。また、日本が存在する意義を確立していかなければ、国際社会で生き残ることは出来ないでしょう。
経営者をはじめとしたリーダーが、純粋倫理にある生活法則を学んで実践し、自己革新していくことを通じて、企業や家庭をより良くすることができます。ひいては、地域社会を、さらには日本をより良くするための諸活動を展開していけるのです。
純粋倫理は、実践すれば結果が現われる生活法則です。世間一般的な倫理道徳は、先人たちの叡智の結晶です。現代において大いに役立つものがある一方で、その成果が限定的であったり、具体的な事象に対してどう対応するかという点でわかりにくかったりするものもあります。純粋倫理は、誰もが実践すれば幸福になる法則です。つまり、「わかりやすく、いつ、どこで、誰が」行なっても結果が現われるということです。そして、その核となるのが、「心の有りよう」なのです。
ある産科医院に早産の赤ちゃんがいました。未熟児のためか、泣声に元気がありません。授乳時には少ししか飲まないので、母親も心配で母乳の出が悪くなることもあります。こういう時、看護師が掛けるひと言が状況を変えることがあります。一度の授乳で、50㏄飲んでほしいところを、10㏄しか飲まなかったとします。その際、看護師が、「10㏄も飲めて、良かったわね」と声を掛けます。すると母親は、安心し、希望を見出すのです。母乳もよく出るようになり、赤ちゃんも少しずつ授乳の量が増えていくというのです。これは看護師のひと言が母親の心に光をもたらし、状況が好転したという一例です。
人の行為は、心の有りように基づいているといえます。すなわち、行為の結果を握っているのは、その主体である人の心なのです。
純粋倫理では、その心を様々な実践を通じ、「純情(すなお)」な心に磨いていきます。その実践の指標として、「明朗【ほがらか】、愛和【なかよく】、喜働【よろこんではたらく】」という三つを掲げています。純情ということを重要視するのには、いくつか理由があります。
一つ目は、純情な心は、物事を正しく見る土台となります。欲やエゴによって心が曇っていたり、歪んでいたりすると物事を正しく見抜くことは出来ません。
二つ目は、その純情な心が包含している明朗な心が、必要な人や物を引き寄せていきます。この二点だけを見ても、純情な心がリーダーにとっていかに重要であるかが理解できるでしょう。
そして、これらは、多くの倫理法人会員の実践によって、証明されているのです。
激変する時代の中で、リーダーとしてどのように脱皮していくかに、企業の盛衰がかかっているといえます。純粋倫理を活用し、より良きリーダー力を発揮していこうではありませんか。
元プロレスラーのY氏は、現役時代、練習や試合後、腰が痛い日々を送っていました。
その旨を仲間に伝えたところ、ある治療院を紹介してくれました。その治療院は有名な格闘家や相撲部屋のトレーナーでもありました。一回や二回診てもらっただけでは良くなるとは思っていなかったY氏は、半信半疑な気持ちで治療を受けました。ところが、たった一回の治療で劇的に腰が楽になり、その治療に深く感動したのでした。
本来、格闘家は、人の体とぶつかり合うために自分の体を鍛え、技を磨いていきます。しかし、ぶつかり合った結果、自分の体を痛めてしまった場合、痛めたところを治しながら、練習して試合に臨むことになります。
治療院の先生は「治すこととぶつかることは一緒であって、どれだけ人間の体を知っているかが大事なのです」と言いました。Y氏は、先生の興味深い話に、整体治療に関心を持つようになっていきました。
格闘家を五十歳・六十歳まで続けられるわけもなく、四十歳前後で区切りをつけて、その後は治療院を開業したいという思いが募っていきました。その後もY氏が患者として治療を受けながら、本当に困ったり落ち込んだり、もうプロレスができなくなるというところまで追い込まれた時にも救ってくれたこと、また体を良い状態に治療してくれたことに対して、心の底から感謝することができたのです。
Y氏は、現役生活を続けながら医療関係の学校へ通い始めます。〈勉強をし、自分の体や後輩の体の状態を治療し、事故や怪我に対応できるようになりたい〉という思いが強まっていったのです。
Y氏が第二の人生を決めるにあたって、大きなきっかけがありました。仲間が道場で練習中に頭を打って亡くなる場面に遭遇したのです。強い衝撃を受けたY氏は改めて、プロレスラーは、危険な職業なのだということを再認識させられました。〈自分自身も残りわずかな現役生活であるが、死に関わるような事故につながることがあるかもしれない〉という思いがよぎりました。そして、〈このような事故を二度と起こさせない〉という思いから、引退後に治療院を開業すると心が決まりました。
Y氏の引退の日が決まり、三カ月後に引退試合をすることになりました。その日から、現役生活を続けながら治療院を開業する準備を着々と進めていったのでした。
倫理研究所の創設者・丸山敏雄は「『はたらき』の目標が決まり、軌道に乗った、これを『職業』と言う。職業がその意義に徹し、これを楽しむとき、これを『天職』という」と述べています。新たな目標に進む際、今就いている仕事を天から与えられた尊い仕事であると自覚することが重要なのです。『天職』の自覚は、仕事に対して惚れ抜いているかです。命をかけて打ち込み、惚れ抜いて働くことが人生最高の生きがいと言えます。
自分の使命を決して疎かにせず、今やるべきことに全力を尽くすのです。一歩一歩着実に、歩んでいきましょう。