木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月5日 「つい、人間は弱気になってしまう時がある」
つい、人間は弱気になってしまう時があります。人間は頭が良い
ので、頭の中で勝手に「出来ない理由」を考えてしまうのです。
「決意する時は頭で考えないことが大切や」と、幸之助はよく言っ
ていました。いつも全身で決意していたのです。
「決意は、魂で『こうする』と信じ、実行してこそ実現するものだ」と、厳しく教えられたものです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月5日 「つい、人間は弱気になってしまう時がある」
つい、人間は弱気になってしまう時があります。人間は頭が良い
ので、頭の中で勝手に「出来ない理由」を考えてしまうのです。
「決意する時は頭で考えないことが大切や」と、幸之助はよく言っ
ていました。いつも全身で決意していたのです。
「決意は、魂で『こうする』と信じ、実行してこそ実現するものだ」と、厳しく教えられたものです。
JR三大車窓の姨捨駅周辺にそびえ立つ姨捨山は、長野県千曲市と筑北村にまたがる山で、民話の里としても有名な地域です。
山頂には、冠着神社を祀る鳥居とトタン屋根の祠があり、祭神は月夜見尊で、山頂で蛍が舞う七月に氏子が登って御篭もりをする祭りが開催され、高浜虚子の「更級や姨捨山の月ぞこれ」の句碑もあります。
姨捨山には伝説があります。平安時代の歌物語として残っている『大和物語』が起源とされます。鹿児島県の甑島(こしきじま)にも、姨捨に似た民話が伝承されています。
昔、貧しい村や農家では、食い扶持を減らすために、お年寄りを山へ捨てに行く習慣がありました。その村に、母親と息子の二人で住んでいる農家がありました。ある日、息子は村の掟により、年老いた母親を山へ捨てるため、リヤカーに乗せて、近くの山の頂上目指して登っていきました。登山の途中、後ろで枝が折れるような音が何度かしましたが、気にも留めずに頂上までたどり着くと、辺りは真っ暗になっていたのです。息子は、頂上に年老いた母親を置き去りにし、真っ暗な道を下山しはじめました。すると、道の途中途中の枝が折れているのに気づきました。実は、母親が、自分を捨てる息子が帰り道に迷わないよう、道の要所要所で枝を折って目印をつけてくれていたのでした。
母親の深い愛に目覚めた息子は頂上まで戻り、母親を連れて帰ってひっそりと親子二人で暮らしました。その時の母親が作った歌が残っています。
「道すがら枝折々々と折る柴はわが身見棄てて帰る子のため」
昔話や民話には数々の親孝行に関する逸話が残されています。江戸時代、八代将軍・徳川吉宗の次のような逸話があります。
吉宗は、長野県のとある地域に鷹狩りに出掛けました。吉宗を一度でも見たいと、村中の人が道の脇で吉宗を歓迎しました。その中に、老婆を背負った青年が立っておりました。話を聞くと、老婆は自分の母親で、足腰が弱くなって歩けなくなり、冥土の土産に吉宗を拝みたいので、息子に背負って連れてきてもらっていたのです。それを聞いた吉宗はいたく感激をして、その場で息子に褒美を取らせました。翌年、同じ村へ鷹狩りに出掛けると、老人を背負って立っている若者が沢山いたのです。皆、吉宗から褒美をもらいたいがために、形だけの親孝行をしていたのでした。しかし吉宗は「見返りを求めていても善いことをしているのだからいいではないか。皆に褒美を取らせよう」と、一人ひとりに褒美を渡しました。数年後、その村の若者は、見返りを求めずに親孝行ができる日本一の孝行村になったのです。
自分の命の源は親であり先祖です。感謝の気持ちが深まるとき、八方塞の危機の中でも上下の抜け道から光が射すことが往々にしてあります。常に「おかげさまで」という言葉を口ずさみながら、毎日を明るく過ごしていきたいものです。
保険会社に勤務するTさんは、二十八歳という若さでありながら、社内ではトップクラスの成績を上げている営業マンです。
入社した頃は、積極的なタイプではなかったのですが、ある日の通勤列車内での出来事がきっかけとなって、自分を変える努力を始めたのだといいます。
それは土曜日のことでした。平日よりも車内は空いていて、通勤客に混じって何人かの小学生がいました。
列車は、出発してから最初は順調に進行していましたが、突然「ガタン」と大きく横に揺れたのです。その時、一人の小学生の女の子が、隣にいたビジネスマンの足を踏んでしまいました。次の瞬間「あっ、ごめんなさい」と、大きな声と共に頭を下げたのです。足を踏まれた男性も、素直で誠実な姿に、笑顔になって、「大丈夫ですよ」と応じたのでした。
その光景を目にしたTさんは、〈もし、あの子が何も言わず黙ったままだったら、どうなっただろう…。車内は険悪なムードが生じたかもしれない。それが、ひと言を発したことで、互いに気まずい思いをするどころか、親しさと和やかさが醸し出されたんだ〉と感じ、日々の自己の態度を振り返りました。
その出来事の半年前から、Tさんは通勤途中のバス停で、初老の男性と毎朝すれ違っていました。挨拶をすることはなかったのですが、毎日顔を合わせる中で、知らぬ振りをしているのが心苦しく感じるようになっていたのです。
自分よりも年下の子供の姿に刺激を受け、ある朝、Tさんは思い切ってその男性へ会釈をしました。すると、その男性も笑顔でお辞儀を返してくれたのです。
その時、爽やかな気分を感じたことが弾みになって、数日後には「おはようございます」と声をかけるようになります。さらには「最近、お仕事の調子はいかがですか?」などちょっとした会話をするようにまでなっていきました。
やがて、Tさんと男性は出身地や通っていた学校も同じであることが分かり、二人はますます仲良くなりました。その後、ゴルフを一緒に楽しんだり、お互いの自宅へも遊びに行くようになりました。
また、男性からお客様をたびたび紹介してもらえる間柄にまでになっていったのです。営業成績がグングン上昇し始めたのは、ちょうどその頃からでした。
Tさんは「あの列車内での出来事が、自分が変わるきっかけになりました。気づきを大切にして、言葉をかけて本当に良かったと思います」と振り返ります。
言葉はコミュニケーションをより良くするために必要なものですが、私たちはそれをいつでも適切に使いこなせているでしょうか。豊かな人間関係を築くために、どのような相手へも思いやりを込めた言葉を、素直に使えるようになりたいものです。
今年は伊勢神宮のご遷宮の年です。大祭のクライマックスは、ご神体が本殿から新殿へ移される遷御(せんぎょ)で、来月十月二日と五日に行なわれます。
世界でも例を見ない、この二十年に一度の祭典は、日本の歴史のサイクルと深く関係しているといわれています。
また、遷宮のサイクルである二十年を四倍した八十年ごとに歴史を区切ってみると、さらに大きな変革の節目であることに気づかされます。八十年ごとに価値観の大きな変革が起こるとともに、かつ日本の古い精神的伝統が蘇っているのです。
たとえば、今から八十年前といえば、世界大恐慌が起こり、日本にとっては第二次世界大戦へと歩みを進めていかざるを得ない時代でした。第五十八回ご遷宮(一九二九年)からの二十年は、まさに戦前と戦後の価値観の大きな転換期でした。
昭和天皇が終戦後の詔書で国民に呼びかけた第一の内容が、明治天皇が掲げた五箇条のご誓文でした。そこに示されているのは「和」の精神です。聖徳太子以来の精神的伝統がその後の日本的経営の基盤となり、戦後の復興を支えました。
さらに遡って一九二九年の八十年前にも、大きな転換期となる出来事がありました。第五十四回ご遷宮(一八四九年)の四年後に、ペリーが来航します。そして、ご遷宮からおよそ二十年後の明治維新。このとき明治天皇は、王政復古の大号令で「神武創業の始めに原(もと)づき……」と詔を発し、国の本(もと)にかえる宣言をしています。
第五十四回の八十年前(一七六九年)は鎖国の時代でしたが、洋書が解禁となり、蘭学が大流行しました。その時代の転換期に起きたのが、本居宣長に代表される日本固有の文化を追求する国学の勃興です。
このように伊勢のご遷宮に沿って八十年ごとに歴史を振り返ると、大きな変革の最中に、本来の精神的伝統もまた蘇り、その時代に即したものとして、新たに再生されてきたことがわかります。
倫理運動の創始者・丸山敏雄は、著書『純粋倫理原論』でこう述べています。
その変わるべきは、あくまで活発に変わり、変わるべからざるは、民族の発生以来、不変不動、而して難にあえばいよいよ改まり、変にあえばますます進む。亡びるがごとくにして、また自然に回復し、何時の間にか民族の巨火をかかげる。
この「易不易の原理」を経営に当てはめると、創業の精神や心は変えず、本質は守ること、技術や手法、戦略は、時代や状況に応じて柔軟に変えていくこととなるでしょう。
倫理の実践は、まず自らが変わることです。変わっていく中で、初心を思い起こしたり、変えてはならない仕事の本質も見えてきます。易不易を見定めるためにも、新たな実践にチャレンジしてみましょう。
いずれ誰にでも訪れる「死」をどのように受け止めればよいのか、肉親の死に直面した時、悲嘆を癒やす過程において、純粋倫理は有効に作用するのか――という問いに答えた本があります。
『悲嘆からの贈りもの~最愛の肉親の死を乗り越えて』(倫理研究所編)です。倫理研究所にはかつて、倫理版グリーフワーク(悲嘆の癒し作業)の確立へ向けた研究グループがありました。本書は、その研究成果をまとめたものです。
研究は、純粋倫理の視点において「死」「寿命」をどう捉えるか、という問いから始まりました。先行研究の文献調査を中心に、全国から寄せられた実践事例の検証や相当数の聴き取り調査を行ないました。
調査を通じて、「寿命とは、生命活動全般を指し、この世に担った使命を果たすために限られた時間である」と位置づけると共に、「人のいのちの価値は、長短では測れない。生涯の長さよりも、どう生きたかという生の密度が重要な意味を持つ」という一定の見解を導くに至りました。
聴き取り調査は主に、肉親の死を迎えたご遺族を対象に行ないました。
話を伺う中で、純粋倫理を学ぶ会友の中に、「死は敗北であり、罪や罰の代償」であるかのように、悲観的に捉えている方がいることを知りました。〈あなたが悪いからこうなった〉と心ない言葉を周囲から浴びせられ、深く傷つき、自責の念に駆られ続ける方にも出会いました。
また一方では、悲しみを受け止め、乗り越えて、心を安らかに保っている方もいらっしゃいました。
様々な研究調査を経て、悲しみを癒やす倫理的なアプローチとして抽出したのは次の三点です。
一つ目は、「故人への語りかけ」です。亡き方を身近な存在として感じ、挨拶や依頼ごと、祈りを通して声をかけるなど、積極的な関わり合いを重ねることです。
二つ目は、「故人の遺志を引き継ぐ喜びの働き」です。故人の思いの実現に向けた取り組みを喜びいっぱいに行なうこと。また、現在、自分の仕事や地域活動などで引き受けていた役割を喜んで努めることです。
三つ目は、「亡き御霊に対する積極的な感謝」です。故人が家の守り神となって見守ってくれていることを信じ、感謝を捧げつつ、亡き肉親の御霊の存在を思い起こす取り組みです。
これらの実践を総称して「祖霊迎拝の倫理」と捉えています。その、もととなる思想は、「死は生なり」という純粋倫理の独自の思想です。
死は誰にでも訪れること。今ある生を、与えられた命をいっぱいに輝かせるためにも、時に死を見つめるということから、「どう生きるか」を問い直していきたいものです。