木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月4日 「人の話を聞いて成長するもんや」
「君なぁ、人間というもんは、人に会って人の話を聞いて、成長
するものや。
人を育て、人を生かすという事は、人の話を聞くことから始まる
のやで。だから、人の話はよく聞くものや。
僕の耳は、人の話を聞くたびに、だんだん大きくなったんや」と、
幸之助は大きな耳を動かせて見せました。
衆知を集める経営のポイントは人の話を素直に聞くことからは
じまるのです。
木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―
4月4日 「人の話を聞いて成長するもんや」
「君なぁ、人間というもんは、人に会って人の話を聞いて、成長
するものや。
人を育て、人を生かすという事は、人の話を聞くことから始まる
のやで。だから、人の話はよく聞くものや。
僕の耳は、人の話を聞くたびに、だんだん大きくなったんや」と、
幸之助は大きな耳を動かせて見せました。
衆知を集める経営のポイントは人の話を素直に聞くことからは
じまるのです。
倫理運動がスタートしたのは、戦後まもなくです。戦後の混乱の中、丸山敏雄が訴えた純粋倫理の生活法則とは、どのようなものだったのでしょう。それは「守れば幸福になり、はずれればきっと不幸になるという、新しい絶対倫理を打ち立てること」でした。
ここでは、「新しい」「絶対倫理」と表現しています。新しいとは、それまで常識とされていた道徳や倫理と比べての表現です。
一般的な道徳の致命的な欠陥は、「道徳と幸不幸が必ずしも一致しない」ことでした。正直者が必ず幸福に暮らせるとは限らない。守っても、実際の生活上の効果はわかりづらい。むしろ守ると損をすることもある――それでは誰も守ろうとはしないでしょう。
そのような道徳・倫理とは一線を画す意味で、純粋倫理は「新しく」と表現されました。そして、実行すれば必ず幸せになれるという点で「絶対倫理」とも呼ばれました。
純粋倫理を実証する過程において、丸山敏雄は、科学と同様「実験」によって証明していく手法をとりました。
実験とは、実際にやってみることです。その実験による研究の手がかりとしたものが「苦難」です。病気や災難、家族の関係、対人問題、経営不振など、人生の中でさまざまに起こる苦難があるからこそ、正しい倫理(みち)がはっきりわかるというのです。
ここに苦難に見舞われた人がいるとしよう。研究者は、邪念妄想なき心境でその人が受けている苦難の原因を直感し、これを相手に告げる。相手は、指摘された原因を除くための実践に素直に取り組む。その結果、苦難は解決する(かどうか)、という実験である。 『丸山敏雄伝』
倫理研究所が発行する『新世』には、毎月二本の「体験記」が寄稿されます。体験とは、苦難を機に実際に倫理を実践してみて、それでどうなったのか、という生きた報告です。
たとえば、十二月号には熊本県で菊栽培業を営むMさんの体験が掲載されています。
Mさんは菊の栽培が軌道に乗らず、精神的にも経済的にも厳しい状況に追い込まれている中で、純粋倫理と出合いました。先に倫理を学んでいた妻に勧められて講習を受講し、〈自分も実践すれば何か変われるかもしれない〉と、一歩を踏み出しました。
親を喜ばせることを一番に考え、実際に行動に移していったところ、少しずつ心のもやもやが晴れていきました。妻の名前を呼んで挨拶を交わし、夫婦で公衆トイレの清掃にも取り組みました。
〈家族みんなが健康で協力してくれるからこの仕事ができる〉と、感謝の思いが深まる中で、Mさんの菊は品評会で最優秀賞を獲得したのです。気がつけば、仕事そのものを天職だと思えるようになっていました。
ポイントは、理屈ではなく実際にやってみることです。実験してみることです。苦難が転じて福となす生活の法則を、皆さんも実験されてはいかがでしょうか。
全国の単位倫理法人会では、毎年、「倫理経営講演会」を開催しています。次に紹介するのは、二年前の講演会での出来事です。
その日は、埼玉県で農業資材を農業従事者に販売する会社を営む小池博社長が事業体験報告を行ないました。二代目の社長として、父親から学んだこと、現在、実践していることなどを発表し、最後に、新しい事業について触れました。
農家が生産した農産物を販売する店舗「とんとん市場」をスタートさせ、当初は賑わっていたものの、「次第にお客様が少なくなり苦戦している」と胸の内を吐露して、体験報告を終了したのです。
演壇から戻った小池社長に、講演会の講師が、「新しい商売に苦戦しているということですが、どのような実践を行なっていますか」と質問をしました。社長は咄嗟の問いに、すぐには答えられませんでした。
講師は続けて「小池社長、あなたは講演会の会場の入口で一礼して入ってきましたね。それはどうしてですか」と尋ねました。社長は「倫理法人会の行事、特にモーニングセミナーの会場に入る時は、一礼して入るように決まっていますから」と答えました。
すると講師は、「一礼や返事などは、会の行事の中だけでするのではありませんよ。日常、職場や家庭で行なえるように、習慣づけるためにしているのです。職場でも、『とんとん市場』の入口でも一礼して、〈今日一日よろしくお願いします。地域の方々に喜ばれる一日となりますように〉と心を込めて入るのです。帰る時には〈今日一日ありがとうございました〉と一礼するのですよ」と告げたのです。
小池社長は早速、その実践に取り組みました。毎日実行するうちに、「店は敷地があるから成り立つのであり、その敷地に礼を尽くすことが店を生かすことになる」ということが徐々にわかるようになってきました。
実践して半年後、「とんとん市場」の客数が増加し、農家や加工品生産者の出店も多くなりました。「物はこれを生かす人に集まる」という学びを実感した小池社長です。
倫理運動の創始者・丸山敏雄は、自著の中にこう記しています。
ここが工場の門である。これが会社の玄関である、ここが私の今日一日の命のはたらき場所である(中略)。今日一日の私の個性のことごとくを、人類の幸福のため世界文化のため有らんかぎりに燃やし立てるのはその職場のほかにないと思うと、おのずからえりを正す気持ちになる。ボウシをとって、進み勇んで、さっと入って行く。私の職場、今日の職場、いのちの職場、魂の殿堂。
『清き耳』より
倫理法人会で行なっている起居動作は、日常、職場や家庭で応用することも踏まえています。そのことを念頭におき、着実に実行してまいりましょう。
年度があらたまると、いつも世阿弥の言葉を思いだす。あの「初心忘るべからず」という有名な教えである。
だがこれはずいぶん誤って伝えられているらしい。うぶで、純情な初めの心を忘れるなとか、まじめな覚悟や情熱などを忘るでないといったような意味とは、まったくちがう。
ほんとうの意味は「初心の芸がいかにつたないものであったか、その未熟さ、醜悪さを想いだして、肝に銘ぜよ。そうしておれば現在の芸は退歩しないものだ」といったような意味である。
*
さて、年の始め、また月や週の始めなどに「今度は……」と決心をしたり、目標を定めたりする。それはよいことだ。何も心にきめず、あてもなくブラブラとすごすよりも、はるかにその人の生活を充実させる。その意味で、はじめの心つまり初心をどう扱うかは重大である。しかしそれとはまた別に、はじめの失敗、稚拙さ、みにくさなどを心にとめて、現在のわざを、生活をよりよく磨きあげようとするのは、たしかに世阿弥の説くようにきわめて大切だ。
むかしは自分はこんな失敗もした。うでもさっぱりだった。なんとまずいことばかりやっていたのだろう……いろいろとこうしたことを思い返しながら、現在のいましめとして事にあたる。それは心をひきしめることで、いい気になったり、得意になったりする心を抑えることだ。
「オレはうまいのだ」とか「いいぞ、いいぞ」などと今思っているのはうぬぼれに過ぎない。もう一段上から見たら、やはり初心者に過ぎないのだ。「自分は初心者だ」これでゆこう。
世阿弥は修業の段階に応じて、壮年、老年にもそれぞれの時期にふさわしい初経験があり、それがまたそれぞれの初心の芸にほかならない、としている。
〝人の命には限りがあり、能の修業には限りがない。各時期のそれぞれの芸を身につけても、さらに老後の段階に似合う芸を習おうとすれば、それは老境の初心の芸である。その老境の芸を初心と覚悟しておればそれまで身につけてきた能がすべて総合され凝縮されて現われる〟
これを要するに毎日毎日、初心を忘れずに励めということになる。これは観世流の奥義ということだが、私たちの日常の仕事にこれをあてはめてゆきたいと切に願う。ヤキトリ一本つくっても、下着の一枚を洗濯しても、初心を忘れまい。もっと広くいえばこの初心を忘れるから、地球は平和になれないのではないか。
企業経営もそうだ。はじめの稚拙さ、今日の失敗を工夫しよう。セールスも商品や機械類の製造も同じではないか。はじめにやったつたなさを忘れまい。そうして毎日毎日あらためる努力を続けよう。政治も学問も、いや家庭における調理、洗濯、掃除などもすべて同じことだと思う
今週は、日々物事に取り組んでいく上での心得や姿勢について、心身両面から、ポイントをお伝えします。
倫理法人会の『幹部研修テキストⅥ』に、「倫理実践の要諦」という章があります。ここでは実践の要諦、すなわち日々行動する上での心得として、次の十項目を紹介しています。
(一)即行 気づくと同時に行ないに移す。(二)純粋 そのままである。何も考えぬ。付加せぬ。(三)直行 まっすぐに行なう。(四)結果を考えぬ 予想せぬ。(五)緊張 実践は、ゆるんではだめである。(六)一気呵成 一息にやり上げる。(七)おしとおす 一歩も退かず押していく。(八)反復不退 出来上がるまでつづける。(九)不悲不喜 わるかったと悲しみに浸り過ぎない。よくできたからといって喜びすぎて油断しない。(十)慎終 後始末をよくする。これらは、内容的に三つのグループに分けることができます。
(一)と(二)は、物事を始めるに際しての心がけです。たとえば、「今年はすぐにお礼状を出すぞ」と決意したとしましょう。しかし、たとえ気づいても、すぐに行動しなければ(礼状を出さなければ)、気づきはやがて雑念となり、果ててしまいます。グズグズしていたり、面倒がって先送りにしていると、別の用件が生じて、せっかく気づいたこと、決意したことが無駄になってしまいます。
また、相手からのアドバイスや助言などをそのまま聞き、実行する姿勢(=純粋)も大切です。〈それが何の得になる?〉などとゴチャゴチャ思い悩んでいたり、できない理由ばかり考えていては、実行を通して味わえる喜びを体感することはできないでしょう。
(三)から(八)は、その物事を行なっていく際の心得です。行動をし始めたら、断固として継続すること。〈人にどう思われているか?〉などと思い煩うことなく、目の前の物事に集中して取り組む。これが「直行」であり、「結果を考えぬ」です。この時、大切になってくるのが、(五)から(八)までの姿勢です。これらは〈始めたことは必ずやり遂げる〉という強い意志の表われです。
(九)と(十)は、物事を締めくくる際のポイントです。行動には失敗がつきもの。順調に成功することもあれば、うまく行かずに頓挫する場合もあります。成功したからといって楽観的になり過ぎたり、失敗したからといって悲観し過ぎない。「不悲不喜」とは、そういう意味です。そして、どのような時もしっかりとした「後始末」をやり遂げること。物事にはっきりとした終止符を打ち、次に備えるのが慎終です。
これら十項目は、新年に立てた決意や目標を実現させるための支えとなるでしょう。今年は、昨年よりも一歩も二歩も成長する自分になろうではありませんか。