『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版

『吉田松陰一日一言』

―魂を鼓舞する感奮語録―

9月29日 「己が任と為す」

綱常名分を以て己が責と為し、天下後世を以て己が任と為すべし。身より家に達し、国より天下に達す。身より子に伝へ孫に伝へ、雲仍に伝ふ。達せざる所なく、伝はらざる所なし。達の広狭は、行の厚薄を視し、伝の久近は、志の浅深を視す。  安政3年7月18日「久坂玄瑞に復する書」

【訳】

人としての正しいあり方を守ることを自分の責任とし、天下後世を維持発展させることを自分の任務と自覚しなさい。人としての正しいあり方を、我が身から家に広げ、国家から天下へと広げる。また、子・:孫へ伝え、更には雲仍、八代目の孫にまで伝える。(正しい教えであるから)広がらない場所はなく、伝わらない世代はない。広がりの広狭は、己の行いが誠実であるか否かを示し、また、どの世代まで伝わるかは、志が高いか否かを示す。

※ 長州藩医の子 久坂玄瑞。松陰が高杉晋作と共に最も期待した高弟の一人。吉田松陰の妹文が嫁いだ

常に清き日本人として恥ずべき事はないかと確認し、
人生の王道を歩みます。

自分を成長させたい、何とかこの問題をクリアしたい…と望んでも、
それが簡単に解決されることは稀でしょう。好結果に至るまでの道のりは、なかなか厳しいものです。
 今週は、二月に開催された冬季ソチ五輪で、男子シングル・フィギュアスケート選手の一人として活躍した、
町田樹選手のエピソードを紹介しましょう。
 町田選手がフィギュアスケートと出合ったのは三歳の頃です。
家族に励まされながらトレーニングを続けますが、特に熱心に応援してくれたのは母の弥生さんでした。
母子での早朝ランニングを日課とし、遠征中や合宿中も毎日会話をして、弱音を受け止める相手になってくれました。
用具代や遠征費がかさんだ時は、昼と深夜に飲食店で働くなどして、やりくりをしてくれました。
 運動能力に恵まれていたわけでもなく、スポンサーやマネジメント会社のサポートもない中で、
町田選手は、オリンピック出場の夢に向かってひたすら努力を続けました。
家族の温かな支えもあって、メキメキと実力を上げ、やがて国際大会にも出場するまでにレベルアップしていきました。
2012年のグランプリシリーズ中国大会で優勝。その後のグランプリファイナルにも出場しますが、成績はまさかの最下位でした。
直後の全日本選手権でも9位と惨敗し、ソチ五輪を前に、精神的にひどく落ち込みます。
 スランプに陥った町田選手を、ある日、母親の弥生さんは「自分自身を変えないと一生勝てないよ」と叱り飛ばしました。
母の厳しい一言と、そこに込められた深い慈愛にハッとさせられ、町田選手は奮起します。
気合を入れるため髪を丸刈りにして、坊主頭の写真と共に、「試合期間中は電話してこないで」と母に決意を伝えました。
弥生さんは、そのメールから「何としても五輪に行く」という強い決意を感じたといいます。
さらに、毎日の練習時間を自主的に一~二時間延長して、再起にかけたのです。
 その後の試合では「自信を持って演じられるようになった」とコーチからも評価され、
ついに二十年間憧れていたオリンピックの舞台へ立つことになったのでした。

 困難に直面した時、「困った、困った」と愚痴を言い、弱音に終始していては、気持ちは萎縮するばかりです。
状況を打開するのは、「やってやるぞ」「この苦しさを機会に自分を磨くぞ!」という前向きな心境と、「
成功するまでやり続ける」という継続力でしょう。
 倫理研究所を創立した丸山敏雄は、青年に向けた書の中で、
「心境は、苦難あるごとに開け、障害にあうたびに成長する」(『青春の倫理』)と喝破しています。
困難な問題に果敢に挑戦する時、積極心は倍増され、知恵や才覚が湧き出てくるものです。
苦難の中でこそ自分が磨かれると知り、今直面していることから逃れずに、一歩ずつ前進していきましょう。

「苦難は幸福の門」強い決意のなか、立ちはだかる壁を乗り越えていきます。

リズムに乗る

二三人寄ってきて「セーノ!」のかけ声もろとも、ピアノをかつぎあげる。
三百キロから六百キロくらいの重さのあるものを、ヒョイとかついで歩きだす。
そして、トラックにつみ上げ、おろし、時には機械の力をかりて、高いビルの部屋に運び上げたりするのである。
「たいへんですね。力がいるでしょう」ときくと、
「もちろん力はいりますがね。それよりもリズムに乗ることですよ。
調子をあわさなけりゃ、こんな重いものを傷つけずに運ぶことはできませんわ」
との答えが屈強な男たちから返ってきた。
 ピアノの運送は専門家の仕事だ。そのコツは、言う通りリズムに乗って協力することだ。
一人が勝手なことをやっていては運べない。
 リズムが重要だといっても、いつもかんたんにそのリズムに乗れるわけではない。
時にはリズムを乗りはずして、よろめき、ケガをしそうになったりする。
だから、苦心や努力がいつも必要だ。だがしかし、そこにこそ運搬、運送の面白味もあるのである。
何でも楽々とできたら、人生に面白味もなければ、爽快さもあるまい。
 事業は世の中の変化によって大きな影響を受ける。そ
の変化にも限りない綾というべきものがあって、一様ではない。
また盛んになったり、衰えたりして循環するリズムもある。衰えるリズムにもその乗りかたがあるのだ。
あわてっ放しの落胆しっ放し、悲しみっ放しの「放し」ばかりでは、リズムに乗れない。
衰亡の波の谷間にあるときこそ、いかにすべきか反省し、研究し、改善改良の工夫を加え、アイデアを活かしつつ勇んで働く。
これがリズムに乗ることなのだ。
これらがかんたんにはゆかず、苦しむときもあろう。しかし、そこにこそ人生の妙味があるのではないか。
逆境のリズムの中にこそ、順境のリズムが盛り上がりつつあるのである。
生老病死も人生のリズムの一つである。病気をせず、老衰で死ぬ人もあるであろうが、
それでも歯が欠けたり、カゼをひいたり、ケガをしたりするくらいはあるであろう。
生まれるリズム、死ぬリズム、病気やケガのリズムも厳然として存在するのである。
表面的にみてよくないと思われるリズムのときは、まず、そのリズムに在ることを肯定し、
恐れたり、憎んだり、怒ったりする気持ちを早めに捨てて、朗らかに乗ることである。
朗らかにとは明るい気持ちのことだ。病気になり、痛みもひどく、
苦しいのに何が朗らかになれるかと反撃されるかもしれないが、
その痛さ、苦しさを「これもリズムなのだ」と受け入れることである。
痛いのは痛いのだし、苦しいのは苦しいのであるから、そう受ける以外にはないではないか。
ただ「痛い、苦しい。ダメだ!」などと泣き叫ぶだけでは、リズムに乗れない。
そうした朗らかな心で、さらに工夫研究をして、心を練り上げることだ。

常に朗らかな心・感謝の心で臨み、成長への上昇気流に乗ります。

変化対応の鍵はどこに?

近年の再生可能エネルギーへ
の関心と相まって、技術革新による世の中の変化がいっそう加速しています。
自動車業界では、ハイブリッドカーや電気自動車の普及が進み、
リッター三十キロを越えて走る低燃費の車が次々と登場しました。
エネルギーの分野では、シェール層から抽出する石油や天然ガス(シェールガス)が注目を集めています。
また、ミドリムシからオイルを生産するバイオ燃料の研究や、
微生物が有機物を分解する際に電気を生み出す原理を利用した「微生物燃料電池」の開発も進んでいます。
こうした社会の構造を変えるような技術革新や景気変動の波は、一定の周期で起きると、様々な経済学者が唱えています。

「世はまさに波動である、リズムである」。これは倫理運動の創始者・丸山敏雄の言葉です。
さっと来て去る波、遅い波と、その波長に長短はあるものの、行きつ戻りつ、
浮びつ沈みつゴールに入る。これが人生である、と著書の中で述べています(『純粋倫理原論』)。
世の中の動きすべてに、リズムがあるとすれば、変化に対応して、うまく時代の波に乗るには何が必要なのでしょうか。
 近江屋ロープ株式会社という会社があります。
創業は一八〇五年。網づくりを本業とし、明治以降は、林業や農業、鉱山の現場で使用する麻や綿の販売で栄えました。
戦後はビニールやナイロン製のロープの卸売り専門会社となり、成長を続けます。
しかし、林業の衰退やバブル崩壊後の公共事業の減少に伴って、やがて経営危機に陥ってしまいます。
この時、社員の提案から起死回生の一手が生まれました。
山が荒れ、急増したイノシシやシカから農産物の被害を防ぐため、害獣の侵入を防ぐネットの製造に乗り出したのです。
需要は思いのほか多く、特に、イノシシの侵入を防ぐネット「イノシッシ」は、ネーミングのインパクトもあり大ヒット。
会社は息を吹き返したのです。
時代の変化に対応して経営悪化からの回復を成し遂げたのですが、
その背景には、これまでの蓄積がありました。
ロープに関するノウハウ、山や森との関わりという自社の強みがあったからこそ、
時代の変化に対応できたのです。新たなビジネスも、本業のレールの延長線上にあったのです。
時代の変化に対応するために、過去のプライドや成功体験を捨てて臨むのは大切でしょう。
その一方で、捨ててはならないものがあります
。それは、何の会社なのかという企業の「本(もと)」、
本業であるコアの部分です。根無し草では、波に翻弄されて溺れてしまうでしょう。
変わらないわが社の「本」を見つめ、そこで働く人の心と、企業の「本」がしっかりつながること。
これが時代の波に対応するための秘訣ではないでしょうか。

自社の本を見つめ、時代の変化に対応していきます。

『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』

木野 親之著
『松下幸之助に学ぶ 指導者の365日』
―この時代をいかに乗り切るか―

「指導者は決断する」

「君、それは自分で決断せんとあかんな」
私が助言を求めに行った時に、幸之助に言われた言葉です。
指導者たるもの人に助言を求めることも大切だが、
決断は自分でしなければならないと教わりました。
決断は指導者の一番大事な仕事です。
決断を経営理念に照らして行えば、成功することは間違いありません。
経営理念が熟慮の基(もと)となり、断行の勇気となるのです。